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「20年間プレーするには、何度も自己改革をしないといけない」名手カーメロが語る長期キャリアを送る秘訣<DUNKSHOOT>

ダンクシュート編集部

2024.01.04

NBA歴代9位の得点をあげたカーメロが自身のキャリアを振り返り、長い現役生活を送れた理由を語った。(C)Getty Images

 レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)と同じ2003年のドラフトでNBA入りしたカーメロ・アンソニーは、23年5月に現役引退を発表するまで世界最高峰の舞台で19シーズンを戦った。長いキャリアを送ることができた理由について、希代のスコアラーは2つの理由を挙げている。

 カーメロはレブロンやクリス・ボッシュ、ドゥエイン・ウェイドらが名を連ねた2003年のドラフト全体3位指名でNBA入り。デンバー・ナゲッツ、ニューヨーク・ニックス、オクラホマシティ・サンダー、ヒューストン・ロケッツ、ポートランド・トレイルブレイザーズ、レイカーズと渡り歩き、19年間でNBA歴代32位の通算1260試合に出場した。

 2012-13シーズンに得点王(平均28.7点)に輝くなど、通算2万8289得点は歴代9位にランクイン。オールスター出場10回、NBA75周年記念チーム選出のほか、アメリカ代表としても五輪金メダル3回と、将来のバスケットボール殿堂入りは確実視されている。

 現在はセカンドライフを満喫する39歳は、自身のポッドキャスト『7PM in Brooklyn』で、長いキャリアには2つの分岐点があったと言及。まず挙げたのが、2011年2月、バスケットボールのメッカと言われるマディソンスクエア・ガーデンを本拠地とする名門ニックスへ移籍したことだ。

「ニューヨ-クは俺に自制心を持たせ、規律を守らせてくれた。NBAでは良いコンディションを保ち続けないといけないけど、特にニューヨークではそうでなければすべてに失敗してしまう。だからあそこでは常にいい状態でいないといけなかった。ニューヨークでは外出しない、試合に集中する、メディアの声に耳を傾けないことを意識した。自分自身と戦わなければいけなかったんだ」
 
 そして、2つ目のポイントがプレースタイルの変化。ナゲッツやニックスでは絶対的エースを担い、バリバリのスコアラーだったカーメロだが、サンダーではラッセル・ウエストブルックとポール・ジョージ(ともに現ロサンゼルス・クリッパーズ)、ロケッツではジェームズ・ハーデン(現クリッパーズ)とクリス・ポール(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)、ブレイザーズではデイミアン・リラード(現ミルウォーキー・バックス)、レイカーズではレブロンとアンソニー・デイビスというスターたちのサポート役に回った。

「自分が何者か理解することが大事だ。20年間プレーするには、何度も自己改革をしないといけない。ニューヨークに行って改革、オクラホマシティに行って改革、ヒューストンに行って改革。その繰り返しだ。『このリーグの現状、実際に何が起きているのかを、もっと理解しないといけない』とね」

 実際、カーメロはブレイザーズ時代の2020-21シーズン、レイカーズ時代の21-22シーズンはシックスマンとして活躍の場を見出した。

「エゴをむき出しにして次に進むか、それとも、ゲームから自分を切り離し、俯瞰して見て役割を見出し、チームの駒としてプレーするのか。「ポートランドでは、『ここは君(リラード)のチームだ。俺のチームじゃない』と考え方を変えたから難しくはなかった。エゴやプライドを捨てて、アジャストしないといけない。その後LAに行ったけど、俺は勝ちたかった。相棒(レブロン)とプレーし、レイカーズのジャージーを着る以上、仮にやりたくないことでも、その瞬間は『これが俺にとってベストだ』と思ってやらないといけない」

 カーメロがNBAで長く活躍できた背景には、"割り切り"も大きかったようだ。

構成●ダンクシュート編集部
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