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「できることは何もない」ベバリーがシャックの支配力を称賛「FT成功率が78%あれば平均53点は残していただろう」<DUNKSHOOT>

秋山裕之

2024.01.14

シャックは216㎝・147㎏という恵まれた体格を誇り、圧倒的なパワーで相手を圧倒。レイカーズを3度、ヒートを1度の優勝に導いた。(C)Getty Images

 1月13日(日本時間14日)、フィラデルフィア・セブンティシクサーズに所属するパトリック・ベバリーのポッドキャスト番組『The Pat Bev Pod』の最新エピソードが公開され、ゲストに『Million Dollars Worth Of Game』のホスト役を務めるギリー・ダ・キングが出演した。

 番組内で、ギリーは「すべての選手のことを、俺は小さい頃から見てきた。で、1人だけカレッジ時代も見てきた。NBAでチャンピオンシップも勝ち獲った男、そうシャックだ」と、殿堂入りビッグマンのシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)の名を挙げていた。

 216㎝・147㎏と規格外の体格で圧倒的なパワーと、クイックネスも兼備していたシャックは、NBAで19シーズンをプレー。レギュラーシーズン通算1207試合で平均23.7点、10.9リバウンド、2.5アシスト、2.3ブロックにフィールドゴール成功率58.2%を残し、計4度のチャンピオンシップを手にした。

 1995年にオーランド・マジックのファイナル進出に大きく貢献し、2000年から02年にかけてレイカーズで3連覇、06年にはマイアミ・ヒートの球団史上初優勝に尽力。レイカーズ時代の34番、ヒート在籍時の32番に加え、先日マジックでも球団史上初となる永久欠番(32番)入りが発表され、ウィルト・チェンバレンに次いで史上2人目となる所属した3球団で永久欠番という栄誉に浴することになった。

 ギリーは「シャックのカレッジ時代を見てみろよ。6人の上からダンクを叩き込んでいたんだ。相手チームの5人に加え、自チームの選手の上からダンクしていた」と、ルイジアナ州大時代のシャックについて熱く語っていた。
 
 これにはシャックと対戦経験のないベバリーも、「(自分が)できることなんて何もない。ダブルチームや彼の前に立つことはできる。だが何もできないな」と、ギリーの意見に賛同していた。

 大学時代のシャックは3年間で平均21.6点、13.5リバウンド、4.6ブロックにフィールドゴール成功率61.0%をマーク。当時からその能力は頭ひとつ抜きん出ており、すでにゴール下ではアンストッパブルな存在だった。

 NBA入り後もペイント内を自在に支配したシャックだが、1試合最多得点は自身の28回目の誕生日だった2000年3月6日のロサンゼルス・クリッパーズ戦で残した61得点。この試合では44分52秒コートに立ち、フィールドゴール成功率68.6%(24/35)、23リバウンド、3アシストでコートを支配した。

 だがフリースローは成功率59.1%(13/22)、キャリア全体でも52.7%と、フリースローは彼の唯一とも言える弱点だった。特にレイカーズ時代は3度の優勝を飾ったものの、彼のゴール下での支配力を少しでも弱めるため、相手チームはわざとファウルを仕掛けて苦手なフリースローを打たせる"ハック・ア・シャック"が流行した。

 ギリーが「もしシャックのファウルショット(フリースロー)がうまかったら、1試合平均55点は残せただろう」と話せば、ベバリーも「そうだな。彼が80%、90%でなくても、78%もあれば平均53点は残していただろうね」と賛同していた。

 NBAのシーズン平均得点の最多記録は1961-62シーズンにチェンバレンが残した50.4。シャックがフリースローを8割近く決めることができていれば、伝説の巨人の記録を塗り替えることができたかもしれない。

文●秋山裕之(フリーライター)

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