スコッティ・ピッペンはシカゴ・ブルズで2度の3連覇を果たし、バスケット殿堂入りも果たしているが、"史上最高の選手"の呼び声高いマイケル・ジョーダンと一緒にプレーしていたこともあり、その凄さが霞んでしまった感は少なからずある。ただ、ブルズ時代の同僚は、ことディフェンスに関してピッペンはジョーダンを超えていたとの見解を述べている。
ピッペンは1987年のドラフト1巡目5位指名でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)から指名され、その後トレードでブルズへ。2年目の1988-89シーズンから主力クラスに定着すると、神様ジョーダンの相棒として91~93年の前期3連覇に貢献した。
ジョーダンが最初の引退で不在だった93-94シーズンはエースを務めて平均22.0点、8.7リバウンド、5.6アシスト、2.9スティールをあげてMVP投票で3位にランクイン。翌シーズンの途中にジョーダンが復帰を果たした後は、デニス・ロッドマンを加えた"三銃士"で96~98年の後期3連覇を支えた。
88年にニューヨーク・ニックスからブルズへ移籍し、主に先発センターとして陰ながらチームを支えたビル・カートライトは、シカゴのスポーツをカバーするジャック・シルバースタイン氏の運営する『The ReadJack』で、「ピップ(ピッペン)は多くのポジションをこなせる。(身長203cmの)サイズがある。攻守両面で素晴らしい。ピップはフロア全体を守ることができた」と語った。
カートライトが特に評価したのが、シュートレンジの拡大とディフェンス力の高さだ。
「ピップは偉大な努力家だ。1988-89シーズンにピップを初めて見た時、彼はシュートを打てなかった。15フィート(約4.6m)のジャンプシュートが打てたかどうかも分からない。でも、彼は本当に特別なアスリートだった。
敵陣までコートを駆け上がり、味方を追い越して、守っている相手の上からダンクを叩き込むんだ。身長とウイングスパンがあり、素晴らしい勘と読みも備えていた。おそらく私たち(ブルズ)のベストディフェンダーになり、オフェンスでも格段に成長した」
ジョーダンはオールディフェンシブ1stチームに9回(1988~93、96~98年)選出されたほか、スティール王3回(88、90、93年)、88年には最優秀守備選手賞にも輝いている。対するピッペンもオールディフェンシブ1stチーム8回(92~99年)、同2ndチーム2回(91、2000年)、スティール王(95年)と実績では負けておらず、カートライトの中ではピッペンの方がディフェンスは上だという評価のようだ。
「オフの間、本当に努力していた。練習して、練習して、練習して、より強くなった。3ポイントシュートも打てるようになった。アーカンソー出身の選手としては、アメイジングな物語だ。ピップは素晴らしい選手で、素晴らしいチームメイトだった」
近年はジョーダンとの確執が取り沙汰されてばかりのピッペンだが、カートライトはその偉大さに敬意を表していた。
構成●ダンクシュート編集部
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88年にニューヨーク・ニックスからブルズへ移籍し、主に先発センターとして陰ながらチームを支えたビル・カートライトは、シカゴのスポーツをカバーするジャック・シルバースタイン氏の運営する『The ReadJack』で、「ピップ(ピッペン)は多くのポジションをこなせる。(身長203cmの)サイズがある。攻守両面で素晴らしい。ピップはフロア全体を守ることができた」と語った。
カートライトが特に評価したのが、シュートレンジの拡大とディフェンス力の高さだ。
「ピップは偉大な努力家だ。1988-89シーズンにピップを初めて見た時、彼はシュートを打てなかった。15フィート(約4.6m)のジャンプシュートが打てたかどうかも分からない。でも、彼は本当に特別なアスリートだった。
敵陣までコートを駆け上がり、味方を追い越して、守っている相手の上からダンクを叩き込むんだ。身長とウイングスパンがあり、素晴らしい勘と読みも備えていた。おそらく私たち(ブルズ)のベストディフェンダーになり、オフェンスでも格段に成長した」
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「オフの間、本当に努力していた。練習して、練習して、練習して、より強くなった。3ポイントシュートも打てるようになった。アーカンソー出身の選手としては、アメイジングな物語だ。ピップは素晴らしい選手で、素晴らしいチームメイトだった」
近年はジョーダンとの確執が取り沙汰されてばかりのピッペンだが、カートライトはその偉大さに敬意を表していた。
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