ロサンゼルス・レイカーズのレブロン・ジェームズは、2003年に18歳の若さでNBAの舞台に飛び込んで以来21年間、第一線で戦い続け、リーグを牽引してきた。今年12月末には40歳の節目を迎えるが、かつてライバルとしてしのぎを削ったポール・ピアース(元ボストン・セルティックスほか)は、レブロンの“進化”に一役買ったと考えているようだ。
レブロンは2003年のドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズ入り。7シーズンを過ごしたのち、マイアミ・ヒートへ移籍しドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュとの“スリーキングス”で12~13年にはリーグ2連覇を果たした。
その後は古巣キャブズに戻って16年にフランチャイズ史上初優勝をもたらし、18年夏にレイカーズへ。20年にはアンソニー・デイビスとのコンビで4度目のリーグタイトルを獲得した。
キャリア21シーズンで歴代6位の通算1492試合に出場して、史上初となる通算4万得点突破をはじめ、リーグ初の通算得点とアシストでトップ5入り、オールスター出場20回、シーズンとファイナルのMVP各4回など輝かしい実績を誇る。
新人時代から圧巻のプレーを見せていたレブロンだが、長年セルティックスで活躍したピアースは『Fox Sports 1』の番組『Undisputed』で、「レブロンを次のレベルに引き上げる手助けをしてしまったことに、本当に責任を感じている」と、“キング”のヒート時代を振り返った。
「彼がマイアミに行った時、(2012年カンファンレンス決勝の)ボストンでの第6戦は俺たちがファイナルに戻るために彼を追い詰めた試合だった。それと同時に、レブロンを次のレベルに引き上げた試合だったと思う。シリーズ3勝2敗とリードして俺たちのホームゲーム。ファイナルに行ける可能性があった。しかし結果的に彼を次のレベルへと導いてしまった」
ピアースとレブロンは、レギュラーシーズンの対戦のほかにプレーオフで計5回にわたって激突。レブロンがキャブズ時代の2007-08シーズンにカンファレンス準決勝で4勝3敗、09-10シーズンも同準決勝で4勝2敗と最初の2回はピアースに軍配が上がった一方、ヒートに移籍してからは2010-11シーズンにカンファレンス準決勝で1勝4敗、11-12シーズンは同決勝で3勝4敗と立場が逆転した(ピアースがネッツへ移籍した13-14シーズンはカンファレンス準決勝で1勝4敗)。
特に、ピアースが触れた12年のカンファレンス決勝では3勝2敗と先に王手をかけながら、第6戦でレブロンに45得点、15リバウンド、5アシストの爆発を許してシリーズをタイに持ち込まれると、第7戦でも両チームトップの31得点、12リバウンドをあげられ、逆転でのシリーズ突破を許してしまった。
「(12年の対戦時)俺が最初に言ったのは『レブロンは今まで見てきたよりも速そうだ』と。クリーブランド時代に何度も対戦したけど、マイアミの27歳のレブロンは100%、オリンピックのスプリンター級だった。スピードも運動能力もまるで違った。(アスリートの)ピークは27歳、28歳、29歳あたりまで来ないと言われる。クリーブランド時代のレブロンはそれよりも若いのにピークにあったと思っていたけど、マイアミに来て、また違ったように見えた」
同年、セルティックスの壁を打ち破って自身初優勝を遂げたレブロン。当時から10年以上が経過した今なおNBAトップレベルを維持する、その規格外の能力と長寿ぶりには脱帽するしかない。
構成●ダンクシュート編集部
レブロンがチームに訪れた危機を回想。2012年に優勝を逃していたらヒートの“ビッグ3”は2年で解散していた?
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新人時代から圧巻のプレーを見せていたレブロンだが、長年セルティックスで活躍したピアースは『Fox Sports 1』の番組『Undisputed』で、「レブロンを次のレベルに引き上げる手助けをしてしまったことに、本当に責任を感じている」と、“キング”のヒート時代を振り返った。
「彼がマイアミに行った時、(2012年カンファンレンス決勝の)ボストンでの第6戦は俺たちがファイナルに戻るために彼を追い詰めた試合だった。それと同時に、レブロンを次のレベルに引き上げた試合だったと思う。シリーズ3勝2敗とリードして俺たちのホームゲーム。ファイナルに行ける可能性があった。しかし結果的に彼を次のレベルへと導いてしまった」
ピアースとレブロンは、レギュラーシーズンの対戦のほかにプレーオフで計5回にわたって激突。レブロンがキャブズ時代の2007-08シーズンにカンファレンス準決勝で4勝3敗、09-10シーズンも同準決勝で4勝2敗と最初の2回はピアースに軍配が上がった一方、ヒートに移籍してからは2010-11シーズンにカンファレンス準決勝で1勝4敗、11-12シーズンは同決勝で3勝4敗と立場が逆転した(ピアースがネッツへ移籍した13-14シーズンはカンファレンス準決勝で1勝4敗)。
特に、ピアースが触れた12年のカンファレンス決勝では3勝2敗と先に王手をかけながら、第6戦でレブロンに45得点、15リバウンド、5アシストの爆発を許してシリーズをタイに持ち込まれると、第7戦でも両チームトップの31得点、12リバウンドをあげられ、逆転でのシリーズ突破を許してしまった。
「(12年の対戦時)俺が最初に言ったのは『レブロンは今まで見てきたよりも速そうだ』と。クリーブランド時代に何度も対戦したけど、マイアミの27歳のレブロンは100%、オリンピックのスプリンター級だった。スピードも運動能力もまるで違った。(アスリートの)ピークは27歳、28歳、29歳あたりまで来ないと言われる。クリーブランド時代のレブロンはそれよりも若いのにピークにあったと思っていたけど、マイアミに来て、また違ったように見えた」
同年、セルティックスの壁を打ち破って自身初優勝を遂げたレブロン。当時から10年以上が経過した今なおNBAトップレベルを維持する、その規格外の能力と長寿ぶりには脱帽するしかない。
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