ダラス・マーベリックス一筋21シーズンのキャリアを送ったダーク・ノビツキーは、NBAで1球団に所属した最長記録を持つレジェンドだ。213cmのサイズでウイングプレーヤーのようにスムースな動きから美しいジャンパーを決め続け、歴代最高級のスコアラーとしてリーグ史に名を刻んだ。
もっとも、ドイツ出身のビッグマンはもともとマブズからドラフト指名されたわけではなかった。1998年のドラフト1巡目9位でこの男を指名したのはミルウォーキー・バックス。ノビツキーはドラフト当日に同19位指名のパット・ギャリティとともにマブズへトレードされ、バックスはマブズが6位で指名したロバート・トレイラーを獲得していた。
では、もしノビツキーがバックスでNBAキャリアをスタートさせていたらどうなっていたのか。現地8月9日に公開されたタナシス・アデトクンボ(昨季までバックス所属)のポッドキャスト番組『Thanalysis Show』に出演したノビツキーはこう回想している。
「ミルウォーキーは最高だったと思う。ブラートヴルスト(ドイツのソーセージの一種)がたくさんあるからね。でもダラスの一員になって、私は自分の時間を楽しんでいる。新たなホームであり、今もそこで暮らしている。ただ、ミルウォーキーで暮らしていても楽しかっただろうね」
ウィスコンシン州ミルウォーキーは、カトリック派のゲルマン系ドイツ系住民が多く住んでいるため、ドイツからやって来たノビツキーにとって“生活面”で問題はなかっただろう。
ロックアウトの影響で通常の82試合から50試合の短縮シーズンとなった1998-99シーズン。バックスはイースタン・カンファレンス7位の28勝22敗(勝率56.0%)を残してプレーオフへ進出。
インディアナ・ペイサーズとのファーストラウンドで3連敗(当時1回戦は3戦先勝制)に終わったが、ロスターにはレイ・アレン、グレン・ロビンソン、シーズン途中に加入したサム・キャセールの“ビッグ3”がおり、ジョージ・カールHC(ヘッドコーチ)の下、オフェンシブなチームを作り上げていた。
ただ、もしそのチームにノビツキーが入った場合、マブズで過ごした殿堂入りのキャリアと同じ道を歩むことができたかは微妙なところ。当時バックスのロスターはアメリカ出身選手たちが占めていて、ノビツキーの将来性を高く買っていたマブズのドン・ネルソンHCや、同期入団で一緒に汗を流して切磋琢磨したスティーブ・ナッシュと交わることもなかった。
1998-99シーズンのマブズはウエスタン・カンファレンス11位の19勝31敗(勝率38.0%)と低迷するも、カナダ人のナッシュを筆頭に海外出身選手が5人在籍していて、インターナショナル化を図っている最中だった。
チーム強化の道中だったからこそ、ノビツキーの成長を待つ時間があっただけに、バックスでスタートしていたら全く異なるキャリアを送っていた可能性があったと言っていい。
それでも、マブズへの恩と感謝の気持ちを持ち続け、バックスにもネガティブな印象を与えないノビツキーの対応はさすが。バスケットボールの国際化を大きく後押しした功労者が、今もメディアへ頻繁に顔を出している要因はこんなところにもあるのだろう。
文●秋山裕之(フリーライター)
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もっとも、ドイツ出身のビッグマンはもともとマブズからドラフト指名されたわけではなかった。1998年のドラフト1巡目9位でこの男を指名したのはミルウォーキー・バックス。ノビツキーはドラフト当日に同19位指名のパット・ギャリティとともにマブズへトレードされ、バックスはマブズが6位で指名したロバート・トレイラーを獲得していた。
では、もしノビツキーがバックスでNBAキャリアをスタートさせていたらどうなっていたのか。現地8月9日に公開されたタナシス・アデトクンボ(昨季までバックス所属)のポッドキャスト番組『Thanalysis Show』に出演したノビツキーはこう回想している。
「ミルウォーキーは最高だったと思う。ブラートヴルスト(ドイツのソーセージの一種)がたくさんあるからね。でもダラスの一員になって、私は自分の時間を楽しんでいる。新たなホームであり、今もそこで暮らしている。ただ、ミルウォーキーで暮らしていても楽しかっただろうね」
ウィスコンシン州ミルウォーキーは、カトリック派のゲルマン系ドイツ系住民が多く住んでいるため、ドイツからやって来たノビツキーにとって“生活面”で問題はなかっただろう。
ロックアウトの影響で通常の82試合から50試合の短縮シーズンとなった1998-99シーズン。バックスはイースタン・カンファレンス7位の28勝22敗(勝率56.0%)を残してプレーオフへ進出。
インディアナ・ペイサーズとのファーストラウンドで3連敗(当時1回戦は3戦先勝制)に終わったが、ロスターにはレイ・アレン、グレン・ロビンソン、シーズン途中に加入したサム・キャセールの“ビッグ3”がおり、ジョージ・カールHC(ヘッドコーチ)の下、オフェンシブなチームを作り上げていた。
ただ、もしそのチームにノビツキーが入った場合、マブズで過ごした殿堂入りのキャリアと同じ道を歩むことができたかは微妙なところ。当時バックスのロスターはアメリカ出身選手たちが占めていて、ノビツキーの将来性を高く買っていたマブズのドン・ネルソンHCや、同期入団で一緒に汗を流して切磋琢磨したスティーブ・ナッシュと交わることもなかった。
1998-99シーズンのマブズはウエスタン・カンファレンス11位の19勝31敗(勝率38.0%)と低迷するも、カナダ人のナッシュを筆頭に海外出身選手が5人在籍していて、インターナショナル化を図っている最中だった。
チーム強化の道中だったからこそ、ノビツキーの成長を待つ時間があっただけに、バックスでスタートしていたら全く異なるキャリアを送っていた可能性があったと言っていい。
それでも、マブズへの恩と感謝の気持ちを持ち続け、バックスにもネガティブな印象を与えないノビツキーの対応はさすが。バスケットボールの国際化を大きく後押しした功労者が、今もメディアへ頻繁に顔を出している要因はこんなところにもあるのだろう。
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