2010年代にサクラメント・キングスやニューオリンズ・ペリカンズなどでプレーしたデマーカス・カズンズ。208㎝・122㎏のセンターはその恵まれた体躯を生かしてゴール下を支配しただけでなく、ガードのような俊敏さと3ポイントも決められる広いシュートレンジを持っていた。
カズンズはケンタッキー大1年時に平均15.1点、9.8リバウンドの好成績を残し、2010年のドラフト1巡目5位でサクラメント・キングスに指名されてNBAデビュー。
ただ、大学時代は自分の能力を疑い、NBAでプレーする準備ができていなかったことをポッドキャスト番組『Club 520』で明かした。
「俺はNBAでプレーするための準備が整っているとは思っていなかった。自分に才能があることはわかっていたけど、ベン・ウォーレスのような選手を見た時、『俺なんか無理だ』と感じたんだ。シャキール・オニール(シャック)やティム・ダンカンを見てもわかるだろう。彼らはめちゃくちゃデカい。そんな(選手と対戦する)現実は自分には想像もできなかった」
ウォーレス(206㎝・109㎏)はリバウンドとディフェンス力に優れた守護神で、04年にデトロイト・ピストンズの優勝の立役者に。シャック(216㎝・147㎏)は圧倒的なフィジカルでゴール下を制圧し、ロサンゼルス・レイカーズで3度、マイアミ・ヒートで1度の優勝を経験。ダンカン(211㎝・111㎏)は基本に忠実なプレーで、サンアントニオ・スパーズを5度の頂点に導いた。
自身の能力を疑っていたカズンズだが、ケンタッキー大で1年目を終えた際、当時HC(ヘッドコーチ)を務めていたジョン・カリパリに「私の家族を養いたいなら、(大学に)残っていい。自分の家族の養いたいなら、ここから出て行け」と言われ、プロに進む決心がついたという。
「その年の終わりには、状況が変わり、特にカリパリとの会話で自分の視点も変わったんだ。それが、NBAに挑戦する決断をした瞬間だった」
20歳でプロ入りを果たしたカズンズは、ルーキーイヤーから平均14.1点、8.6リバウンド、2.5アシストをあげ、オールルーキー1stチームに選出。その後も順調に成長を続け、5年目の2014―15シーズンには平均24.1点、12.7リバウンド、3.6アシストを奪い、キングスの選手では03-04シーズンのペジャ・ストヤコビッチ以来となるオールNBAチーム(2nd)に選出された。
プロ入り後のカズンズは様々な選手から影響を受けたという。そのなかで最も感銘を受けたのがカーメロ・アンソニーで、「ボールの扱い方、サイズ、フィジカル、そしてその中にある繊細さ。彼はそれらを完璧に融合させていた」と回想。
自身と同じビッグマンでは「アマレ・スタッダマイアーも(カーメロと)同じようなタイプだったし、もちろんシャックも好きだった。彼らの支配力と、プレーにおける威圧感が好きだったんだ。そしてパウ・ガソル。彼の優雅さや、アスレチック能力だけに頼らず、ゲームを考える姿勢が素晴らしかった」と3人の名前を挙げていた。
彼らから多くを学び、NBAでオールスターに4度選ばれるほどの名選手に成長を遂げたカズンズ。相次ぐケガで22年を最後にNBAの舞台から遠ざかり、昨季は台湾でプレーしたが、フィジカルとテクニックを備えた男は、2010年代で屈指のセンターの1人だったことは間違いない。
構成●ダンクシュート編集部
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ただ、大学時代は自分の能力を疑い、NBAでプレーする準備ができていなかったことをポッドキャスト番組『Club 520』で明かした。
「俺はNBAでプレーするための準備が整っているとは思っていなかった。自分に才能があることはわかっていたけど、ベン・ウォーレスのような選手を見た時、『俺なんか無理だ』と感じたんだ。シャキール・オニール(シャック)やティム・ダンカンを見てもわかるだろう。彼らはめちゃくちゃデカい。そんな(選手と対戦する)現実は自分には想像もできなかった」
ウォーレス(206㎝・109㎏)はリバウンドとディフェンス力に優れた守護神で、04年にデトロイト・ピストンズの優勝の立役者に。シャック(216㎝・147㎏)は圧倒的なフィジカルでゴール下を制圧し、ロサンゼルス・レイカーズで3度、マイアミ・ヒートで1度の優勝を経験。ダンカン(211㎝・111㎏)は基本に忠実なプレーで、サンアントニオ・スパーズを5度の頂点に導いた。
自身の能力を疑っていたカズンズだが、ケンタッキー大で1年目を終えた際、当時HC(ヘッドコーチ)を務めていたジョン・カリパリに「私の家族を養いたいなら、(大学に)残っていい。自分の家族の養いたいなら、ここから出て行け」と言われ、プロに進む決心がついたという。
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プロ入り後のカズンズは様々な選手から影響を受けたという。そのなかで最も感銘を受けたのがカーメロ・アンソニーで、「ボールの扱い方、サイズ、フィジカル、そしてその中にある繊細さ。彼はそれらを完璧に融合させていた」と回想。
自身と同じビッグマンでは「アマレ・スタッダマイアーも(カーメロと)同じようなタイプだったし、もちろんシャックも好きだった。彼らの支配力と、プレーにおける威圧感が好きだったんだ。そしてパウ・ガソル。彼の優雅さや、アスレチック能力だけに頼らず、ゲームを考える姿勢が素晴らしかった」と3人の名前を挙げていた。
彼らから多くを学び、NBAでオールスターに4度選ばれるほどの名選手に成長を遂げたカズンズ。相次ぐケガで22年を最後にNBAの舞台から遠ざかり、昨季は台湾でプレーしたが、フィジカルとテクニックを備えた男は、2010年代で屈指のセンターの1人だったことは間違いない。
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