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NBA

「新しい経験を欲していた」。デュラントが2016年夏のサンダー退団の背景を告白「他人の思いに基づいて決断を下すことはできなかった」<DUNKSHOOT>

秋山裕之

2025.01.17

2016年プレーオフ、デュラント擁するサンダーはウォリアーズに逆転負け。同年オフに電撃移籍し世間を驚かせた。(C)Getty Images

2016年プレーオフ、デュラント擁するサンダーはウォリアーズに逆転負け。同年オフに電撃移籍し世間を驚かせた。(C)Getty Images

 現地時間1月16日、フェニックス・サンズは敵地キャピタルワン・アリーナへ乗り込み、ワシントン・ウィザーズ相手に一度もリードを許さず130-123で完勝した。

 この日のチームは元ウィザーズのブラッドリー・ビールが足首の負傷で欠場も、デビン・ブッカーがゲームハイの37得点に5アシスト、2スティール、ケビン・デュラントが23得点、6リバウンド、2ブロック、5本の3ポイントを沈めたグレイソン・アレンが21得点、5リバウンド、3スティール、タイアス・ジョーンズが9得点、10アシスト、3スティールで勝利に貢献。

 ここ7戦で5勝をあげたサンズは、20勝20敗(勝率50.0%)でウエスタン・カンファレンス10位へ浮上し、プレーイン・トーナメント進出圏内に入り込んだ。

 そんななか、15日に公開されたザック・ランドルフ、トニー・アレン(ともに元メンフィス・グリズリーズ)がホストを務めるポッドキャスト番組『Out The Mud Podcast』にデュラントがゲスト出演。過去に大きな移籍を決断した当時の心境を振り返った。
 
 2007年のドラフト全体2位でシアトル・スーパーソニックスから指名されてNBA入りしたデュラントは、翌08年に移転してオクラホマシティ・サンダーとなったチームのエースとして、2015-16シーズンまで9シーズンを過ごした。

 ランドルフにアレン、さらにマルク・ガソル、マイク・コンリー(現ミネソタ・ティンバーウルブズ)らがコアメンバーを務めたグリズリーズとはサンダー時代に3度(2011、13、14年)プレーオフで激突。シリーズ通算では2勝1敗でサンダーに軍配が上がったほか、2012年にNBAファイナル進出、16年にもファイナルまであと1勝に迫る奮闘を見せた。

 特にデュラントにとってサンダーで最後のシーズンとなった2016年のプレーオフ。チームはデュラントとラッセル・ウエストブルック(現デンバー・ナゲッツ)を軸にカンファレンス・ファイナルへ進出、両輪の爆発もあって3勝1敗と先に王手をかけたものの、前年王者ゴールデンステイト・ウォリアーズの巻き返しに遭い、まさかの3連敗で姿を消した。

 するとデュラントは同年夏のFA(フリーエージェント)戦線で“My Next Chapter”と題した手記を『THE PLAYERS' TRIBUNE』へ寄稿し、ウォリアーズへ電撃移籍して世界を驚かせた。

 ウエストブルックとのデュオは間違いなくリーグ最高級の破壊力を持ち、ファイナル進出まで1勝に迫ったにも関わらず、スーパースターがライバルチーム、よりによってプレーオフで敗れたウォリアーズへ移籍したのだから、大きな批判にさらされたのは言うまでもない。
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