クレイグ・ホッジスは1980年代~90年代前半のNBAでロールプレーヤーとして活躍し、90~92年には3ポイントコンテストで3連覇を達成した。現役引退後にロサンゼルス・レイカーズでコーチを務めたシューターはポッドキャスト番組で、元チームメイトのマイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペンの比較を展開した。
ホッジスは、ロングビーチ州大時代にトライアングル・オフェンスの開発者として知られるテックス・ウィンターの指導を受け、82年にサンディエゴ・クリッパーズ(現ロサンゼルス・クリッパーズ)でデビュー。1988-89シーズンの途中にトレードで加入したシカゴ・ブルズではジョーダン、ピッペンと共闘し、91、92年に2度の優勝を経験した。
現在64歳のホッジスは元NBA選手のスティーブン・ジャクソンとマット・バーンズ(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)がホストを務める人気ポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』に出演。バスケットボール史上最高の選手と言われているジョーダンだが、ホッジスはそれに異を唱え、ピッペンを高く評価していた。
「私はピッペンの方がジョーダンより優れていたと思う。生まれ持った才能という部分でね。彼は6フィート7インチ(201㎝)で、ドリブルもできるし、ジャンプ力もある、シュートもできる。右手が大きいだけじゃなくて左手も同じくらい大きくて、しかも両手で同じようにフィニッシュできる。両者の違いは自信の持ち方にあった。
自分の後ろにサポートしてくれる選手がたくさんいれば、プレーの仕方も変わってくる。『自分の実力を証明しなきゃ』といった状況とは違うんだ。ピッペンは(無名の)セントラル・アーカンソー大出身で、常に自分を証明しなければならなかった。一方で(ノースカロライナ大出身の)ジョーダンは、ある程度“証明済み”の選手だったんだ」
ジョーダン&ピッペンの黄金コンビ率いるブルズは、90年代に2度の3連覇(91~93、96~98)を成し遂げ、アメリカスポーツ史でも屈指の王朝を築いた。
コート上で抜群の連携を誇った両者だったが、現役引退後の仲は決して良好とは言えず、2020年に公開された98年のブルズを追ったドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』を機に関係は一気に悪化。ピッペンは翌年に発売された自伝『Unguarded』で「マイケルは間違っていた。私たちが勝てたのは、チームバスケットをしていたからだ」などと相棒を批判していた。
番組内でホッジスはこの話題にも言及。「彼(ピッペン)は23番(ジョーダン)の影響下にあった。つまり彼は弟分だったんだ。その関係性は今もどこかに残っていて、それが今のちょっとした溝につながっているんじゃないかな」と当時を回想し、次のように続けた。
「でも、神のご加護があれば、いずれは元に戻ると思う。だって、みんなもう子どもも孫もいる年齢だ。そんなことで揉めている場合じゃない」
苦楽を共にしてきた元同僚としてホッジスは、ジョーダンとピッペンの和解を願っていた。
構成●ダンクシュート編集部
「右手だ」。NBAの両雄ジョーダン&コビーの違いを、間近で見た戦友が明かす「片手で軽々と掴めるほどの大きさがあった」<DUNKSHOOT>
「ジョーダンがいなくてもスコッティはいい選手になっていた」かつてのライバルがピッペンを再評価「すべてできるのが彼のゲームだ」<DUNKSHOOT>
ジョーダンは「すごく難しい人物」ピッペンが“神様”との関係性を改めて語る「素晴らしいチームメイトだが最高の友人ではなかった」<DUNKSHOOT>
ホッジスは、ロングビーチ州大時代にトライアングル・オフェンスの開発者として知られるテックス・ウィンターの指導を受け、82年にサンディエゴ・クリッパーズ(現ロサンゼルス・クリッパーズ)でデビュー。1988-89シーズンの途中にトレードで加入したシカゴ・ブルズではジョーダン、ピッペンと共闘し、91、92年に2度の優勝を経験した。
現在64歳のホッジスは元NBA選手のスティーブン・ジャクソンとマット・バーンズ(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)がホストを務める人気ポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』に出演。バスケットボール史上最高の選手と言われているジョーダンだが、ホッジスはそれに異を唱え、ピッペンを高く評価していた。
「私はピッペンの方がジョーダンより優れていたと思う。生まれ持った才能という部分でね。彼は6フィート7インチ(201㎝)で、ドリブルもできるし、ジャンプ力もある、シュートもできる。右手が大きいだけじゃなくて左手も同じくらい大きくて、しかも両手で同じようにフィニッシュできる。両者の違いは自信の持ち方にあった。
自分の後ろにサポートしてくれる選手がたくさんいれば、プレーの仕方も変わってくる。『自分の実力を証明しなきゃ』といった状況とは違うんだ。ピッペンは(無名の)セントラル・アーカンソー大出身で、常に自分を証明しなければならなかった。一方で(ノースカロライナ大出身の)ジョーダンは、ある程度“証明済み”の選手だったんだ」
ジョーダン&ピッペンの黄金コンビ率いるブルズは、90年代に2度の3連覇(91~93、96~98)を成し遂げ、アメリカスポーツ史でも屈指の王朝を築いた。
コート上で抜群の連携を誇った両者だったが、現役引退後の仲は決して良好とは言えず、2020年に公開された98年のブルズを追ったドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』を機に関係は一気に悪化。ピッペンは翌年に発売された自伝『Unguarded』で「マイケルは間違っていた。私たちが勝てたのは、チームバスケットをしていたからだ」などと相棒を批判していた。
番組内でホッジスはこの話題にも言及。「彼(ピッペン)は23番(ジョーダン)の影響下にあった。つまり彼は弟分だったんだ。その関係性は今もどこかに残っていて、それが今のちょっとした溝につながっているんじゃないかな」と当時を回想し、次のように続けた。
「でも、神のご加護があれば、いずれは元に戻ると思う。だって、みんなもう子どもも孫もいる年齢だ。そんなことで揉めている場合じゃない」
苦楽を共にしてきた元同僚としてホッジスは、ジョーダンとピッペンの和解を願っていた。
構成●ダンクシュート編集部
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