ロサンゼルス・レイカーズのレジェンドであるコビー・ブライアントは、“不屈の戦士”として常に最高の自分を追い求めたことで知られる。レイカーズOBで、コビーの現役ラストイヤーの指揮官でもあったバイロン・スコットが教え子の唯一無二ぶりについて語った。
1996年にNBA入りしたコビーは、20年間のキャリアをレイカーズ一筋で過ごし、歴代4位の通算3万3643得点を記録。リーグチャンピオンにも5回(2000~02、09、10年)輝き、06年1月のトロント・ラプターズ戦では歴代2位となる1試合81得点を叩き出した。ヘリコプター墜落事故で命を落とした20年には数々の功績が認められ、バスケットボール殿堂入りを果たしている。
「常に最高の自分になろうと努力を続けること」を追求するマインドは、愛称の“ブラックマンバ”から“マンバ・メンタリティ”と呼ばれ、ラッセル・ウエストブルック(デンバー・ナゲッツ)やデビン・ブッカー(フェニックス・サンズ)など多くの現役選手に今なお受け継がれている。
1980年代のレイカーズ黄金期を知り、96-97シーズンに当時ルーキーのコビーとプレーし、14~16年にはヘッドコーチとして晩年のスーパースターを指導したスコット。
現在64歳のスコットは、自身のポッドキャスト『Byron Scott's Fast Break』に出演した元選手のオルデン・ポリニス(元サクラメント・キングスほか)が、ジョン・ストックトン(元ユタ・ジャズ)が鼻を骨折しながらプレーするタフネスぶりだったことを回想すると、それに相当する選手としてコビーの名を挙げた。
コビーは、2013年4月11日のゴールデンステイト・ウォリアーズ戦で左足アキレス腱を断裂しながらコートに立ち続け、2本のフリースローを成功。その不屈の精神は伝説として語り継がれている。
「アキレス腱を断裂し、フリースローを打ってコートを出て行った。彼がなぜギャングスターかって? 自分で立ち上り、フリースローラインに歩いて行った。それから歩いて戻ってきた。笑顔はなく、失望しているのがわかった。彼は怒っていたんだ」
そしてスコットは、今年のプレーオフ・カンファレンス準決勝第4戦で右足アキレス腱断裂の大ケガを負ったジェイソン・テイタム(ボストン・セルティックス)を引き合いに出しつつ、改めてコビーの凄みに感嘆の声を上げた。
「(現代NBAで)お気に入りの選手の1人がジェイソン・テイタムだ。彼はコートに倒れ、転げ回り、苦しそうだった。そして車椅子に乗っていた。(ただ)私はコビーが車椅子に乗ることはないだろうと思った」
右足を痛めたテイタムはコート上に倒れ込んで悶絶し、スタッフ2人の助けを借りて退場。車椅子でロッカールームへと引き上げた。スコットはテイタムの闘志を認めつつも、コビーを唯一無二の存在として位置付けた。
「コビーは決して車椅子で運び出されることはないだろう? バスケットボールのコートで見たこともないようなギャングスターのプレーだ。彼は歩きながら2本のフリースローを決め、そのまま歩き出した。アキレス腱が切れて普通は歩けないのに、彼は歩いて(コートから)出て行ったんだ。このリーグでは、そんなことをする男は決して見られない。2度と見ることはないだろう」
悲しいケガではあったが、コビーが偉大かつ不屈の精神を持った選手だったことを示す、唯一無二のエピソードと言っていいだろう。
構成●ダンクシュート編集部
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「常に最高の自分になろうと努力を続けること」を追求するマインドは、愛称の“ブラックマンバ”から“マンバ・メンタリティ”と呼ばれ、ラッセル・ウエストブルック(デンバー・ナゲッツ)やデビン・ブッカー(フェニックス・サンズ)など多くの現役選手に今なお受け継がれている。
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現在64歳のスコットは、自身のポッドキャスト『Byron Scott's Fast Break』に出演した元選手のオルデン・ポリニス(元サクラメント・キングスほか)が、ジョン・ストックトン(元ユタ・ジャズ)が鼻を骨折しながらプレーするタフネスぶりだったことを回想すると、それに相当する選手としてコビーの名を挙げた。
コビーは、2013年4月11日のゴールデンステイト・ウォリアーズ戦で左足アキレス腱を断裂しながらコートに立ち続け、2本のフリースローを成功。その不屈の精神は伝説として語り継がれている。
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そしてスコットは、今年のプレーオフ・カンファレンス準決勝第4戦で右足アキレス腱断裂の大ケガを負ったジェイソン・テイタム(ボストン・セルティックス)を引き合いに出しつつ、改めてコビーの凄みに感嘆の声を上げた。
「(現代NBAで)お気に入りの選手の1人がジェイソン・テイタムだ。彼はコートに倒れ、転げ回り、苦しそうだった。そして車椅子に乗っていた。(ただ)私はコビーが車椅子に乗ることはないだろうと思った」
右足を痛めたテイタムはコート上に倒れ込んで悶絶し、スタッフ2人の助けを借りて退場。車椅子でロッカールームへと引き上げた。スコットはテイタムの闘志を認めつつも、コビーを唯一無二の存在として位置付けた。
「コビーは決して車椅子で運び出されることはないだろう? バスケットボールのコートで見たこともないようなギャングスターのプレーだ。彼は歩きながら2本のフリースローを決め、そのまま歩き出した。アキレス腱が切れて普通は歩けないのに、彼は歩いて(コートから)出て行ったんだ。このリーグでは、そんなことをする男は決して見られない。2度と見ることはないだろう」
悲しいケガではあったが、コビーが偉大かつ不屈の精神を持った選手だったことを示す、唯一無二のエピソードと言っていいだろう。
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