専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

「運動能力よりも精神力の勝負だった」90年代に一世を風靡した高卒プレーヤー、ショーン・ケンプが語るNBAの厳しさ

北舘洋一郎

2020.03.20

ケンプは90年代にリーボックと契約。複数のシグネチャーモデルが作られるなど、シャックと並ぶブランドの看板選手となった。(C)Getty Images

ケンプは90年代にリーボックと契約。複数のシグネチャーモデルが作られるなど、シャックと並ぶブランドの看板選手となった。(C)Getty Images

 この教訓は1996年に初めて出場した、シカゴ・ブルズとのファイナルで試されることになった。しかし極めれば極めるほど勝敗の分かれ目は選手の精神力に左右される。当時26歳だったケンプは豪快なダンクやブロックなど攻守にわたってチームを牽引。シリーズ平均23.3点、10リバウンド、2ブロックをあげ、同年にNBA記録となる72勝をあげたブルズを苦しめたが、個の力での限界を見せられ2勝4敗で敗れた。

 ケンプのシグネチャープレーは野性味あふれる豪快なスラムダンクだ。とりわけ相棒のゲイリー・ペイトンが繰り出すロブパスからのアリウープは彼の18番だった。

 彼が最初にダンカーとして注目を浴びたのが1991年のスラムダンク・コンテスト。ドクターJことジュリアス・アービングとマイケル・ジョーダンが過去の大会で見せたフリースローレーンからのダンクを、ケンプはくさび形のポーズを空中でキープし見事に決めてみせた。

 1980年代に“ヒューマンハイライトフィルム”と呼ばれた名ダンカーのドミニク・ウィルキンス以来、NBAには“ダンク馬鹿”と呼べる使い手が不在だった。もちろん、ジョーダンやクライド・ドレクスラーなどの実力者はいたものの、彼らのダンクは“アート”だった。一方ケンプのダンクはドミニクと同じように荒々しく、“ジャングルダンク”と呼ばれ、リーグきっての人気選手となった。
 
 空中の支配者となったケンプは1992年にそれまで履いていたナイキを離れ、リーボックと大型契約を結んだ。

「細い足首に強靭なふくらはぎを持つ俺の脚にはローカットのシューズが合っていた。ハイカットは足首の可動域を減らしてしまい、フィットしないことがある」とケンプはシューズの好みを語っていた。

 シャキール・オニールとともにリーボックの広告塔となったケンプは、1994年には自身初のシグネチャーとなる『カミカゼ』を発表。さらに1995年には『カミカゼ2』、1996年に『レインマン1』、翌年には『レインマン2』をリリースし、スターの地位を不動のものとした。

 オールスターには1993年から6年連続で出場、1994年にはドリームチーム2のメンバーとして世界選手権(現FIBAワールドカップ)で優勝。ケンプは実力、人気ともに兼ね備えたソニックスの看板選手だった。

 その後アルコールやドラッグにどっぷりハマって劇太り。さらにコート外のトラブルもあってジャーニーマン化し、2003年を最後にNBAの舞台から姿を消したケンプ。それでも試合中に繰り出すケンプのジャングルダンクの破壊力を、今も鮮明に記憶しているファンは多いはずだ。

文●北舘洋一郎

【名場面PHOTO】ジョーダン最後のオールスター、コビー81得点、カーターの豪快ダンク……1999-2019 NBA名場面集
 
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号