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NBA

“神様”マイケル・ジョーダンは、なぜドラフト3位だったのか?【NBAレジェンド列伝・前編】

出野哲也

2020.04.30

ドラフトでは様々な要因が絡まって3位に落ち着いたジョーダン。しかしプロ入り後は圧倒的な実力で瞬く間にトップスターへのし上がった。(C)Getty Images

ドラフトでは様々な要因が絡まって3位に落ち着いたジョーダン。しかしプロ入り後は圧倒的な実力で瞬く間にトップスターへのし上がった。(C)Getty Images

 うまい具合に――あるいはまずいことに――ケンタッキー大にサム・ブーイという有望なセンターがいた。7フィート1インチ(216cm)の高さに加え、器用にパスを出すこともできるブーイに、ブレイザーズの首脳陣は77年の優勝時の名センター、ビル・ウォルトンの影を見出していた。足の故障の前歴が気がかりだったが、身体検査の結果を受け、ステュ・インマンGMはブーイ指名の決断を下す。

 こうしてジョーダンは3位でシカゴ・ブルズに指名され、インマンは「ディック・ロウ(ビートルズをオーディションで落としたデッカ・レコードの担当者)以来、最大の愚か者」との汚名を着せられることになった。

 ジョーダンは1年目から平均28.2点の大活躍で新人王を受賞。重力の法則を覆すような滞空時間の長いダンクをはじめ、スピードとダイナミズムに溢れたプレーの数々で、見る者を唖然とさせた。ジョーダンの雄姿を一目見ようと、ブルズの試合はホームでも遠征先でも観客で溢れ返った。

 ジョーダンがNBA入りする前年の1983-84シーズンには1試合平均1万620人だったリーグの観客動員数は、5年後には1万5088人と142%も増加した。ジョーダンと専属契約を結んだナイキ社(皮肉にも、同社の本拠はポートランドだった)のシューズ“エア・ジョーダン”は飛ぶように売れ、さほど有名ではなかった同社は見る見るうちに世界的企業へ成長した。
 
 ドラフト同期生のオラジュワン、チャールズ・バークレーやジョン・ストックトン、1年後輩のパトリック・ユーイングにカール・マローンら、ライバルにも恵まれた。アイザイア・トーマス率いるデトロイト・ピストンズの“バッドボーイズ”はこれ以上ない悪役だったし、スラムダンクコンテストの好敵手ドミニク・ウィルキンスもいた。こうした多士済々のライバルたちとの戦いを通じて、ジョーダンのプレーはさらに磨きがかかった。

 3年目からは7年連続得点王を獲得、87-88シーズンはシーズンMVP、最優秀守備選手賞、スティール王と個人賞を総なめにした。ボストン・セルティックスやピストンズに阻まれ、チームとして成功を収めるまでには時間がかかったが、スコッティ・ピッペンやホーレス・グラントの加入と成長、フィル・ジャクソン・ヘッドコーチの指導によって徐々に力をつけていく。

 90-91シーズンにレイカーズを下して初優勝を飾ると、92年は因縁のブレイザーズ、そして93年は悪友バークレーを擁するフェニックス・サンズを倒して3連覇を達成。もちろんファイナルMVPは3年ともジョーダンが受賞した。(後編へ続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2008年4月号掲載原稿に加筆・修正。

【PHOTO】引退後もその影響力は絶大!NBAの頂点に君臨するバスケットボールの”神様”マイケル・ジョーダン特集
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