米データサイト『Basketball Reference』によると、ボッシュはヒート移籍1年目の10-11シーズンに86%をパワーフォワード、14%をセンターでプレーしていた。しかし翌11-12シーズンは49%と51%へ、12-13シーズンには100%センター起用となり、チームは連覇を達成している。
当時のヒートのロースターにはユドニス・ハズレムやクリス・アンダーセンといったビッグマンもいたのだが。試合終盤には211センチ・106キロのボッシュ、203センチ・99キロのシェーン・バティエがフロントラインを形成することが多々あった。
ボッシュは「僕らは自分たちのディフェンスを信じた。タフになってやろうと戦ったんだ」と振り返り、さらにこう続けている。
「自分たちの持つスピードを生かし、レブロンやウェイドをパッシングレーンに置きたかった。そして長さを駆使して袋叩きにしたかったのさ。その当時はスクリーン&ロールが何度もあって、僕らはブリッツしたり、後から複数でダブルを仕掛けていたんだ」
ヒートがこのディフェンスを遂行するうえで、高い身体能力に強靭な肉体も持ち合わせるレブロン、ウェイドの貢献はもちろんのこと、高さと長さ、さらにはクイックネスも兼備したボッシュの働きが大きな要素となっていたことは言うまでもない。
14年にレブロンが退団したことで、ヒートはボッシュとウェイドの2枚看板体制となったが、15年に血栓が見つかったことでシーズン後半戦に離脱。17年にヒートから契約を解除されてユニフォームを脱いだ。
レブロンやウェイドほどのインパクトはなかったが、ヒート2度の優勝はこの男抜きには達成できなかった。オールスター選出11度を誇るボッシュは、連覇を達成したヒートの主要人物として今後もファンの記憶に残り続けるだろう。
文●秋山裕之(フリーライター)
当時のヒートのロースターにはユドニス・ハズレムやクリス・アンダーセンといったビッグマンもいたのだが。試合終盤には211センチ・106キロのボッシュ、203センチ・99キロのシェーン・バティエがフロントラインを形成することが多々あった。
ボッシュは「僕らは自分たちのディフェンスを信じた。タフになってやろうと戦ったんだ」と振り返り、さらにこう続けている。
「自分たちの持つスピードを生かし、レブロンやウェイドをパッシングレーンに置きたかった。そして長さを駆使して袋叩きにしたかったのさ。その当時はスクリーン&ロールが何度もあって、僕らはブリッツしたり、後から複数でダブルを仕掛けていたんだ」
ヒートがこのディフェンスを遂行するうえで、高い身体能力に強靭な肉体も持ち合わせるレブロン、ウェイドの貢献はもちろんのこと、高さと長さ、さらにはクイックネスも兼備したボッシュの働きが大きな要素となっていたことは言うまでもない。
14年にレブロンが退団したことで、ヒートはボッシュとウェイドの2枚看板体制となったが、15年に血栓が見つかったことでシーズン後半戦に離脱。17年にヒートから契約を解除されてユニフォームを脱いだ。
レブロンやウェイドほどのインパクトはなかったが、ヒート2度の優勝はこの男抜きには達成できなかった。オールスター選出11度を誇るボッシュは、連覇を達成したヒートの主要人物として今後もファンの記憶に残り続けるだろう。
文●秋山裕之(フリーライター)