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NBA

かつてジョーダンと覇を争った男が語る1985年のスラムダンク・コンテスト秘話「NBAはとっさにあの判断をした」<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2022.02.21

 前年のファイナリストであるアービングとナンスはシード権を得て準決勝進出が決まっていたため、1回戦を通過できるのは残りの6人のうち2人だけ。

 各選手3回の試技を行ない、まずはウィルキンスが50点満点中47、49、49というほぼ満点に近い145点をマークして首位で勝ち抜け。残る1席をめぐる2番手には、ジョーダンとスタンズベリーが130点で並んだ。

 ちなみにスタンズベリーは、「16歳の時、リバースダンクを練習していたら、うっかり回りすぎて360度回ったけれど決められた」ことで習得したという360°ダンクで、1回戦でただ1人、満点の50点を叩き出している。

 準決勝進出者を決めるため、ジョーダンとスタンズベリーは2人で一発勝負をすることになった。

 まずは先攻のジョーダンがワンハンドダンクで40点をマーク。後攻のスタンズベリーは、地元インディアナのファンが大声援を飛ばすなか、両手でリバースダンクを決めると、46点でジョーダンを上回った。負けを認めて、スタンズベリーに健闘の握手を求めるジョーダン。
 
 しかしここで会場にアナウンスが響き渡る。急遽ルールが変更され、2人ともが準決勝に勝ち進むことが発表されたのだ。ルーキーにしてすでに爆発的な人気を集めていたジョーダンを見たいというファンの期待に応えた、リーグの判断だった。

 そんな特別ルールが採用されていたとは驚きだが、この決定について不満はなかったかと聞かれたスタンズベリーは、「まったくそんな感情はなかった」と感慨深げに当時を振り返る。

「そもそも彼(ジョーダン)が決めたわけでもないしね。それに私自身、ジョーダンの大ファンだった。ドラフト同期でデビューも同じ年だったし、パンアメリカンゲームやオリンピックの合宿では一緒にプレーしていたから彼のことはよく知っていて、とても尊敬していた。あの頃から彼はすでに際立っていたし、素晴らしいダンカーだった。NBAは、ファンがきっとジョーダンをもっと見たいだろうと思って、とっさにあの判断をしたのだと思う。私はショックもがっかりもしなかった。私でも同じことをしたと思うよ」
 
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