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NBA

“大学のオファーゼロ”から“NBAファイナルのヒーロー”へ。逆境を乗り越えたデリック・ホワイトの叩き上げキャリア<DUNKSHOOT>

小川由紀子

2022.06.06

 ただ、そのなかに1人だけ、興味を持ってくれた熱心なコーチがいた。

 しかし彼が指導していたのは、アスリートではなく、料理人養成で名高い大学のバスケ部。ホワイト親子は“こうなったら飛び込みでトライアルを受けまくるしかないか”と考えていた。

 そんな時、そのコーチだったジェフ・カルバーが、コロラド大のNCAAディビジョン2のチーム、UCCS(コロラド大コロラドスプリングス校)の監督に任命されるという幸運が舞い降りた。

 カルバーはホワイトの父も成長期が遅かったこと、そして手や足のサイズ、ウイングスパンなどを観察し、この後身長が伸びるであろうと予想。さらに歴代の指導者たちが口を揃えて、練習に取り組む姿勢や性格を絶賛したことにも好感を抱き、彼をチームに招き入れた。

 カルバーの予想は的中。ホワイトの身長は、高校卒業から大学で新シーズンを始める頃までに10センチ近くも伸び、それに伴い筋力もアップした。
 
 ホワイト自身も「自分をリクルートをしなかった指導者たちが間違っていたと証明したい」と懸命にトレーニングに励んだ結果、その努力が実り、初年度から地元の“年間ベストフレッシュマン賞”に選ばれる活躍を披露。ディビジョン2のオールアメリカンに選出されるまでになった彼は、3年目を終えたタイミングでビラップスの母校である、ディビジョン1のコロラド大バッファローズに引き抜かれたのだった。

 自分を見出してくれたカルバーHCのチームを去ることについて、「心苦しい思いでいっぱいだった」と感じたところにホワイトの義理堅さが伺えるが、カルバーの方は逆に、彼を小さな池の鯉で終わらせず、大海を経験させたいと願っていた。

 ホワイトはバッファローズでも平均18.1点とチームを牽引する存在となったが、「むしろもっとライバルの多いチームに入って、もがく環境にいたほうが成長できたのでは」と感じていたと、当時カルバーは語っている。

 そうして、高校時代はディビジョン2のクラブからもスカウトを得られなかったホワイトは、2017年のNBAドラフトで、1巡目29位でサンアントニオ・スパーズから指名を受けるまでになったのだった。
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