専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
NBA

誰もが認めた天賦の才——“レインマン”ショーン・ケンプのキャリアはどこで狂ったか【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2022.07.20

 1年目は1試合を除いてすべてベンチからの出場だったが、2年目以降はほぼスターターに定着し、毎年着実に成績を伸ばしていく。雨 (Rain) の街シアトルを支配 (Reign) する男という意味で、“レインマン”のニックネームもついた。

 ケンプの魅力は、その驚異的な跳躍力にあった。ジャンプした次の瞬間にリングに叩き込まれる、目にも止まらぬ速さのダンクは観客の興奮を呼んだ。その迫力がどれほど凄まじかったかは、毎年のようにオールスターのスラムダンク・コンテストに招待されたことでも窺い知れる(ただし1990年の次点が最高位で、優勝は一度もなかった)。

 ダンクのイメージが先行したが、「俺はパワープレーもできるし、アウトサイドのシュートだって打てる。そこらへんのビッグマンとは違うのさ」と豪語するだけの器用さも持っていた。

 頼りになるパートナーもできた。1年後にソニックスに入団してきたポイントガードのゲイリー・ペイトンである。ケンプとペイトンは息の合ったコンビプレーを展開し、ペイトンのパスを受けてのケンプの華麗なアリウープは、ソニックスの呼び物となった。もっとも、派手なプレーを試みてミスをしでかし「頼むから普通にシュートしてくれ」とコーチに叱責されることもしばしばあった。
 
 1993年にはオールスターにも出場し、7年2540万ドルの高額契約を手にした。翌1994年はオールNBA2ndチームに選出され、“ドリームチームⅡ”のメンバーとして、世界選手権で金メダルも獲得した。

 それでもまだ、スーパースターと呼べるレベルには達していなかった。集中力を欠いたり感情的になったりする悪癖が抜け切らず、また無駄なファウルが多いために出場時間が限られ、成績的にも平均得点は20点になかなか届かず。ポテンシャルからすれば物足りないものだった。

 チームも同様で、ケンプやペイトン以外にもケンドール・ギル、デトレフ・シュレンプらオールスター級の選手たちを擁しながらも、プレーオフで勝ち上がれずにいた。1994年などはリーグ最高勝率を収めていたにもかかわらず、1回戦で第8シードのデンバー・ナゲッツに敗れる史上初の大番狂わせを喫する失態。翌1995年も同じく1回戦で敗退した。 ソニックスが一段上の階段を上るためにも、ケンプの心身両面での成長が切望されていた。(後編に続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年5月号原稿に加筆・修正

【PHOTO】オラジュワン、ジョーダン、バークレー、ペニー……NBAの歴史を彩った偉大なレジェンド特集!
NEXT
PAGE

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号