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NBA

早熟の天才ドミニク・ウィルキンス。ジョーダン、バードの好敵手だった名ダンカーの物語【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2021.07.21

ウィルキンスはオールスターのダンクコンテストに最多タイとなる5回出場。うち4回は決勝まで勝ち残り、1985、90年には優勝を飾っている。(C)Getty Images

ウィルキンスはオールスターのダンクコンテストに最多タイとなる5回出場。うち4回は決勝まで勝ち残り、1985、90年には優勝を飾っている。(C)Getty Images

 今季のアトランタ・ホークスは22歳のトレイ・ヤングを中心に、4年ぶりにプレーオフ進出。ポストシーズンでも堂々たるプレーを見せ、2015年以来となるカンファレンス決勝に駒を進め、ファンを熱狂させた。

 サプライズチームとなったホークスは、1980年代後半~90年代にも1人のエースを軸に旋風を巻き起こした。ラリー・バード率いるボストン・セルティックスやマイケル・ジョーダンのいるシカゴ・ブルズに行く手を阻まれたものの、当時はプレーオフの常連チームとして君臨。そのなかでも看板選手として人気を博したのが、ドミニク・ウィルキンスだった。

 ウィルキンスの売りと言えば〝ヒューマン・ハイライト・フィルム″と呼ばれた強烈なダンクで、オールスターのスラムダンク・コンテストでは1984年の第1回大会から出場。その後はジョーダンの最大のライバルとして覇を競い、85、90年の大会では優勝を飾るなど、人気イベントとして定着するきっかけを作った。

 ダンカーとしてのイメージが強かったウィルキンスだが、80年代後半から90年代前半にかけてのNBAを代表する名選手でもあった。通算得点2万6668点は引退時点でリーグ史上7位、現在でも14位。平均24.8点も現役選手を除くと、やはり14位に相当する大変な数字なのだ。
 
■早熟の天才だったパリ生まれのドミニク

 ウィルキンスのフルネームはジャック・ドミニク・ウィルキンス(Jacques Dominique Wilkins)。スペルがフランス風なのは、父が空軍に勤務していて、フランスはパリのソルボンヌ地区で生まれたからである。3歳の時にアメリカに戻り、やがて近所の年長の子どもたちとバスケットボールをプレーするようになった。

 大人しくしていてはボールが回ってこなかったため、ドミニク少年は自分でボールを奪う術を自然と身につけた。将来、彼がリーグでも指折りのオフェンシブ・リバウンダーとなったルーツはここにある。

 中学生時代には「周囲にはドミニクのダンクや、ドミニク自身についての噂で持ちきりだった」と、弟のジェラルド(のちにニューヨーク・ニックスなどで活躍)が証言するほどの選手になっていた。ジョージア大では2年終了時にデトロイト・ピストンズから4年契約を提示されたが、アーリーエントリー締め切り直前に大学に残ることを選択。3年終了時に満を持してプロ入りを決意し、3位でユタ・ジャズから指名を受ける。

 だがウィルキンスは入団に難色を示し、最終的にジャズはジョン・ドリューらとの交換でウィルキンスの交渉権をアトランタ・ホークスへ譲渡。大学時代を過ごした第二の故郷とあって、ホークス入団に異存はなかった。
 
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