■選手、GMの両方で輝かしい実績を残す
引退直後に犬猿の仲だったレイカーズのオーナーを訴えたこともあって、その後しばらくウエストはバスケットボールから離れ、ゴルフ三昧の日々を送っていた。
だが、76年にヘッドコーチとしてレイカーズに復帰。ウエストのいない2年間はプレーオフ進出を逃していたチームは、新戦力カリーム・アブドゥル・ジャバーの活躍で地区王座に返り咲いた。しかしコーチ業に魅力を感じなかったウエストは、3年務めたあと退任。スカウトを経て、82年にGMに就任した。
82年以降、レイカーズはジャバーやマジック・ジョンソンを擁して4回優勝したが、GMとしてのウエストの手腕にはあまりスポットライトは当たらなかった。彼の能力が真に認められたのは、マジックらが去った90年代、若手を中心としてチームを再建してからである。
95年に最優秀エグゼクティブ賞を受賞。その後FAでシャキール・オニール、トレードでドラフト指名直後のコビー・ブライアントを獲得し、2000年からは3連覇を果たした。LA移転後のレイカーズの、最初の9度の優勝のすべてに、彼は何らかの形で関わっていたのだ。
ウエストの下で働いていたレイカーズの球団職員は「ジェリーは我々の父親のような存在だった。みながチームにとって重要な仕事を任されているという気分にさせてくれた」と証言している。こうした心配りができたからこそ、彼はマネージメントの領域でも第一人者となれたのだ。
02~07年はメンフィス・グリズリーズでGMを務めると、ドアマットチームを04年から3年連続でプレーオフに進出させ、04年に2度目の最優秀エグゼクティブ賞を受賞した。2球団での受賞は史上2人目。レイカーズ以外の球団でも結果を出して、その手腕が本物であることが証明された。
さらに11年からはゴールデンステイト・ウォリアーズに加わり、15、17年に2度優勝を経験。17年からはロサンゼルス・クリッパーズの球団幹部となっている。
選手としてウエスト以上の高みに達した者は、何人かはいる。だが、その中にGMとしてウエストほど成功した者はいない。同様に、ジョー・デュマースなどGMとして名声を得た元選手で、ウエストほど選手時代の実績が光り輝いている者もいない。
「NBAのロゴは時代遅れ。ジョーダンのシルエットに変更すべきだ」との意見もあるが、 ジョーダンといえども“ザ・ロゴ”の地位を脅かすには至っていないのだ。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年8月号原稿に加筆・修正
引退直後に犬猿の仲だったレイカーズのオーナーを訴えたこともあって、その後しばらくウエストはバスケットボールから離れ、ゴルフ三昧の日々を送っていた。
だが、76年にヘッドコーチとしてレイカーズに復帰。ウエストのいない2年間はプレーオフ進出を逃していたチームは、新戦力カリーム・アブドゥル・ジャバーの活躍で地区王座に返り咲いた。しかしコーチ業に魅力を感じなかったウエストは、3年務めたあと退任。スカウトを経て、82年にGMに就任した。
82年以降、レイカーズはジャバーやマジック・ジョンソンを擁して4回優勝したが、GMとしてのウエストの手腕にはあまりスポットライトは当たらなかった。彼の能力が真に認められたのは、マジックらが去った90年代、若手を中心としてチームを再建してからである。
95年に最優秀エグゼクティブ賞を受賞。その後FAでシャキール・オニール、トレードでドラフト指名直後のコビー・ブライアントを獲得し、2000年からは3連覇を果たした。LA移転後のレイカーズの、最初の9度の優勝のすべてに、彼は何らかの形で関わっていたのだ。
ウエストの下で働いていたレイカーズの球団職員は「ジェリーは我々の父親のような存在だった。みながチームにとって重要な仕事を任されているという気分にさせてくれた」と証言している。こうした心配りができたからこそ、彼はマネージメントの領域でも第一人者となれたのだ。
02~07年はメンフィス・グリズリーズでGMを務めると、ドアマットチームを04年から3年連続でプレーオフに進出させ、04年に2度目の最優秀エグゼクティブ賞を受賞した。2球団での受賞は史上2人目。レイカーズ以外の球団でも結果を出して、その手腕が本物であることが証明された。
さらに11年からはゴールデンステイト・ウォリアーズに加わり、15、17年に2度優勝を経験。17年からはロサンゼルス・クリッパーズの球団幹部となっている。
選手としてウエスト以上の高みに達した者は、何人かはいる。だが、その中にGMとしてウエストほど成功した者はいない。同様に、ジョー・デュマースなどGMとして名声を得た元選手で、ウエストほど選手時代の実績が光り輝いている者もいない。
「NBAのロゴは時代遅れ。ジョーダンのシルエットに変更すべきだ」との意見もあるが、 ジョーダンといえども“ザ・ロゴ”の地位を脅かすには至っていないのだ。
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年8月号原稿に加筆・修正
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