■NBAで挫折を経験するが、移籍により急成長を遂げる
1986年にはMLBオークランド・アスレティックスのドラフト23巡目で指名され、マイナーで2試合だけ遊撃手として出場。「3年もすればメジャーに上がれる」と言われていたが、 彼の才能は野球よりもバスケットボールで光り輝いた。身長は低くとも、抜群のクイックネスと驚異的なジャンプ力で自在に切り込んで、レイアップやダンクを決めた。
ポイントガードとしての才能も卓越しており、安定したボールハンドリングと視野の広さによって、適切な選手に正確なパスを送った。大学3、4年時にはパック100カンファレンスの1stチームに選出され、同カンファレンスで初のトリプルダブルも達成。そして1987年のドラフトで、クリーブランド・キャバリアーズから1巡目7位で指名され入団した。
ところが、キャブズには新進気鋭のポイントガード、マーク・プライスがいた。
「あの頃はマークの方が自分より上だった」とKJも認めざるを得ず、ベンチを温め続け、半年後にはサンズに放出。だが、アップテンポの試合展開を得意とするチームに移り、彼の才能は花開く。移籍後は平均8.7アシスト、さらに4月の月間最優秀新人に選ばれた。
翌年は平均20.4点、12.2アシストと躍進しMIPを受賞。シーズン平均20点、12アシスト以上はマジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)、アイザイア・トーマス(元デトロイト・ピストンズ)に続き史上3人目の快挙だった。以後3年連続で20点、10アシストをクリアし、 こちらもオスカー・ロバートソン(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)、トーマスに次いで史上3度目となった。
KJの成長に伴い、サンズも毎年50勝以上する強豪チームへ変貌する。バークレーはマジックを差し置いて、KJを「リーグで最高のポイントガード」と断言し、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)も「何でキャブズが彼を手放したのか、まったくわからない」と首を振った。
ファンからも絶大な支持を得た。選手として素晴らしかったのはもちろん、女性ファンは精悍なルックスに、男性ファンはコート上で誰よりも激しく、情熱的にプレーする姿に魅せられた。
また、人間的な魅力も人気を後押しした。困っている人がいれば惜しみなく経済的な支援を与え、ファンとの間に壁を作ることなく、サインを求められればいつでも気さくに応じた。
「公の場ならそれが当たり前。プライベートを大事にしたければ、家に籠っていればいいんだからね」(後編に続く)
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2011年12月号原稿に加筆・修正
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1986年にはMLBオークランド・アスレティックスのドラフト23巡目で指名され、マイナーで2試合だけ遊撃手として出場。「3年もすればメジャーに上がれる」と言われていたが、 彼の才能は野球よりもバスケットボールで光り輝いた。身長は低くとも、抜群のクイックネスと驚異的なジャンプ力で自在に切り込んで、レイアップやダンクを決めた。
ポイントガードとしての才能も卓越しており、安定したボールハンドリングと視野の広さによって、適切な選手に正確なパスを送った。大学3、4年時にはパック100カンファレンスの1stチームに選出され、同カンファレンスで初のトリプルダブルも達成。そして1987年のドラフトで、クリーブランド・キャバリアーズから1巡目7位で指名され入団した。
ところが、キャブズには新進気鋭のポイントガード、マーク・プライスがいた。
「あの頃はマークの方が自分より上だった」とKJも認めざるを得ず、ベンチを温め続け、半年後にはサンズに放出。だが、アップテンポの試合展開を得意とするチームに移り、彼の才能は花開く。移籍後は平均8.7アシスト、さらに4月の月間最優秀新人に選ばれた。
翌年は平均20.4点、12.2アシストと躍進しMIPを受賞。シーズン平均20点、12アシスト以上はマジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)、アイザイア・トーマス(元デトロイト・ピストンズ)に続き史上3人目の快挙だった。以後3年連続で20点、10アシストをクリアし、 こちらもオスカー・ロバートソン(元シンシナティ・ロイヤルズ/現サクラメント・キングスほか)、トーマスに次いで史上3度目となった。
KJの成長に伴い、サンズも毎年50勝以上する強豪チームへ変貌する。バークレーはマジックを差し置いて、KJを「リーグで最高のポイントガード」と断言し、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)も「何でキャブズが彼を手放したのか、まったくわからない」と首を振った。
ファンからも絶大な支持を得た。選手として素晴らしかったのはもちろん、女性ファンは精悍なルックスに、男性ファンはコート上で誰よりも激しく、情熱的にプレーする姿に魅せられた。
また、人間的な魅力も人気を後押しした。困っている人がいれば惜しみなく経済的な支援を与え、ファンとの間に壁を作ることなく、サインを求められればいつでも気さくに応じた。
「公の場ならそれが当たり前。プライベートを大事にしたければ、家に籠っていればいいんだからね」(後編に続く)
文●出野哲也
※『ダンクシュート』2011年12月号原稿に加筆・修正
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