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NBA

「NYで一緒にプレーできるチャンスがあった」“初代闘将”モーニングがユーイングと交わした会話を告白。90年代名勝負の舞台裏<DUNKSHOOT>

秋山裕之

2024.05.17

 当時ニックスはパット・ライリーHC(ヘッドコーチ)の下、ユーイングやジョン・スタークス、チャールズ・オークレーらを中心としたディフェンシブなチームで王座獲得を目指していた。

 1994年にはNBAファイナル進出を果たすもヒューストン・ロケッツに3勝4敗で敗戦。翌95年はレジー・ミラー率いるペイサーズの前にカンファレンス・セミファイナルで3勝4敗の敗退。ライリーは同年6月に辞任し、9月に96年のドラフト1巡目指名権との交換でヒートへ移籍していた。

 ライリーを失ったニックスは、後任にドン・ネルソンHCを招聘。オフェンス面の戦術に秀でた名将は、アンソニー・メイソンをポイントフォワードで起用し、新たなスタイルを構築しようとしていた矢先だったこともあり、ユーイングとモーニングというビッグマンデュオは実現しなかったのかもしれない。
 
 その後ニックスは95-96シーズン途中でネルソンを解任し、アシスタントコーチのジェフ・ヴァン・ガンディがHC代行へ昇格。正式に指揮官となり、恩師ライリーが指揮を執るヒートと1997年から2000年まで4年連続でプレーオフで激突し、死闘を演じた。

 今から30年近くも前ということで、モーニングは当時のことを明かす気になったのだろう。ユーイングとモーニングの主戦場はペイントエリアながら、両選手とも当時のビッグマンとしてはミッドレンジジャンパーも上手かっただけに、ニックスで共闘するシーンを見てみたかったと思うファンもいるのではないだろうか。

 ただ、ニックスとヒートが繰り広げてきた“仁義なき戦い”は、ジョージタウン大出身の2人のビッグマンが発するあふれんばかりのエナジーも欠かせない要素だった。ユーイングが送った“後輩”モーニングへの助言は、正しいものだったのかもしれない。

文●秋山裕之(フリーライター)
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