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NBA

ユーイング、ムトンボらを輩出した“ビッグマンのジョージタウン”。そのなかで1人異彩を放つアイバーソン【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.06.29

ユーイング(左上)、ムトンボ(左下)ら優秀なセンターを多く輩出。しかし唯一NBAでMVPに輝いたのはアイバーソン(右)だった。(C)Getty Images

ユーイング(左上)、ムトンボ(左下)ら優秀なセンターを多く輩出。しかし唯一NBAでMVPに輝いたのはアイバーソン(右)だった。(C)Getty Images

 首都ワシントンDCにキャンパスを置くジョージタウン大は、ビル・クリントン元大統領、ドナルド・ラムズフェルド元国防長官ら、多くの政治家や外務官を送り出している名門校だ。さらにスポーツではバスケットボールの強豪校で、とりわけ優秀なセンターが多いことでも知られている。

 とはいえ、同大バスケットボール部のホヤズ――ギリシャ語のwhatに当たり、試合中のかけ声に使われたのがきっかけでニックネームとして定着した――が注目されるようになったのは、ここ40年余りのこと。NCAAトーナメント(以下トーナメント)では、戦時中の1943年に準優勝して以来30年以上も出場権を逃し、もうひとつの全米大会であるNIT選手権にもほとんど顔を出すことはなかった。
 
 そのため、NBAでも創成期に数名を輩出しただけで、確固たる実績を残した者は皆無。そうした状況を変えたのが、1972-73シーズンからヘッドコーチ(HC)に就任したジョン・トンプソンJr.だった。

 NBAでもボストン・セルティックスで2年間プレーした経験を持つセンターは、自らと同タイプのビッグマン育成に手腕を振るい、センターを軸にしたディフェンス中心のチームを作り上げていく。1975年にはカレッジキャリアで平均10.7本を奪ったホヤズ史上最高のリバウンダー、マーリン・ウィルソンの活躍で32年ぶりのトーナメント出場。1980年にはジョン・デューレンが初めてドラフト1巡目(19位/ユタ・ジャズ)で指名されている。

 もっとも、トンプソンの門下生で最初にNBAでスターになったのは、ガードの“スリーピー”ことエリック・フロイドだった。攻撃型のポイントガード(PG)として正確なミドルシュートで得点を稼ぎ、1982年に同大初のオールアメリカン1stチームに選出。通算2304得点は今も学校記録として残っており、NBAでもゴールデンステイト・ウォリアーズなどでスターターを務め、1987年のプレーオフでは1クォーター29得点のリーグ記録を樹立している。
 

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