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NBA

“魔術師”マジックの登場で初の全米制覇!強豪校としての地位を確立したミシガン州大の歴史【名門カレッジ史】

出野哲也

2020.01.16

昨年12月に現役引退を表明したランドルフ。プロ入り当初は問題児として悪名高かったが、年を重ねるごと丸くなり、優秀なチームプレーヤーに生まれ変わった。(C)Getty Images

昨年12月に現役引退を表明したランドルフ。プロ入り当初は問題児として悪名高かったが、年を重ねるごと丸くなり、優秀なチームプレーヤーに生まれ変わった。(C)Getty Images

 79年のドラフト1位でレイカーズに入団したマジックは、13年間のキャリアで歴代1位の平均11.2アシストを記録。セルティックスに入団したバードとのライバル関係も継続し、NBAファイナルでは3度顔を合わせ、2度勝利を収めた。NBAで5回、92年のバルセロナ五輪でも金メダルを手にしたが、彼自身は大学時代の優勝が1番嬉しかったと言う。

 マジックのプロ入り後は一旦弱体化したものの、80年代後半からはコンスタントにトーナメント出場を果たし、NBAで活躍する選手も増加。84年にホークスに入団したケビン・ウィリスは、44歳まで現役を続け、史上8位の1424試合に出場した。86年に年間850点(平均27.4点)の学校記録を打ち立てたスコット・スカイルズは、マジック時代の90年にリーグ記録となる1試合30アシストを叩き出している。スティーブ・スミスは94年、先輩のウィリスとの交換トレードでヒートからホークスへ移籍。同年の世界選手権(現FIBAワールドカップ)に出場したドリームチームⅡのメンバーでもあり、03年にスパーズでウィリスとともにチャンピオンとなった。この時期に活躍した選手としてはデンゼル・バレンタイン(ブルズ)の父カールトン、MSU史上最多の2531点をあげたショーン・レスパートらがいる。
 
 95年を最後にヒースコットが引退し、アシスタントから昇格したのが、現在も指揮を執るトム・イゾーだ。基本に忠実な守備とリバウンドを重視するイゾーの下で、MSUは安定した強さを発揮するようになる。98年以降は22年連続でトーナメントに出場、さらにファイナル4に8回進出。これは史上5位の大記録で、大会が開催される3月に因んで“ミスター・マーチ”とも呼ばれている。NBA球団からも何度かオファーがあったが、「生涯スパルタン」の姿勢は不変だ。養子のスティーブンもMSUに入学、今季から父の下でプレーしている。

 99年にはモーリス・ピーターソン、マティーン・クリーブス、チャーリー・ベルら“フリントストーンズ”(全員フリント市の出身で、同名の漫画に因んでつけられたニックネーム)の活躍により、20年ぶりにファイナル4へ進出。主力メンバーの大半が残った翌2000年に2度目の全米制覇を達成した。足首を負傷しながら、フロリダ大との決勝で18得点をあげたクリーブスは大会最優秀選手に選ばれ、オールアメリカンにも3年連続で選出された。ミシガン大との勧誘合戦の末に入学したこともあり、MSU史上最も人気を集めた選手の1人だったが、NBAでは167試合の出場で平均3.6点と大成しなかった。
 

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