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NBA

“凡庸なNBA選手”から“欧州トッププレーヤー”へと変貌を遂げた男。次なる野望はトルコ代表での東京五輪出場

小川由紀子

2020.01.22

2017-18シーズンに所属したセルティックスではベンチの一角を担ったが、脇役の域を出ることはなかった。(C)Getty Images

2017-18シーズンに所属したセルティックスではベンチの一角を担ったが、脇役の域を出ることはなかった。(C)Getty Images

 ラーキンの父親は、MLBで数々の実績を残し、殿堂入りも果たしている元シンシナティ・レッズのバリー・ラーキンだ。ラーキン自身も幼少期には野球もプレーしていたが、早い時期からバスケットボールに専念することを選んだ。

 マイアミ大を卒業後、2013年のNBAドラフトでアトランタ・ホークスに18位指名されたのち、ダラス・マーベリックスにトレード。ところがサマーリーグ中に足首を負傷しデビューが遅れるという不運に遭い、1年目は48試合の出場で平均2.8点という成績にとどまった。

 翌シーズンはニューヨーク・ニックス、その翌年はブルックリン・ネッツと、3シーズンNBAで研鑽したのち、2016年にヨーロッパに上陸。スペインの名門バスコニアとサインし、そこで月間MVPを獲得するなど初年度から主力として活躍した。

 翌年はボストン・セルティックスに請われて再びNBAに戻ったが、1年でヨーロッパに舞い戻り、18年にアナドール・エフェスの一員となった。
 
 ラーキンに関して特筆すべきことのひとつは、その順応の早さだ。ワールドカップなどの国際大会でアメリカ代表が攻めあぐねるシーンを頻繁に目にするように、欧州バスケで多用される組織的なディフェンスは、アメリカンバスケに馴染んだ選手にとっては攻略に時間を要することも少なくない。

 しかしラーキンは、バスコニアでプレーした初年度にリーグ9位の平均13.1点をマーク。フィールドゴール成功率、3ポイント成功率ともにシーズンごとに数字を伸ばし、今季は同3位の平均21.1点と得点王も狙える位置につけている。

 そんな彼自身の能力に加え、追い風となったのはチームの指揮官、エルジン・アタマンHCの存在だ。前回国内タイトルを獲得した黄金時代に指揮を執っていたアタマンHCは、トルコの代表指揮官などを経て2017年に古巣に復帰していた。

「ラーキンは現在ヨーロッパのベストプレーヤーだ。得点はもちろんのこと、ディフェンス、リバウンドなど、彼は常に100%を出し切っている。それが彼を欧州ナンバー1たらしめている」と話す熟練指揮官は、エースの扱い方も心得ている。
 
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