現役セレソン戦士だった男のJリーグ挑戦の理由が明らかになった。鹿島アントラーズに所属したレオナルドだ。
「サッカー王国の貴公子」が東洋の島国にやってきたのは、1994年の夏だった。当時、セレソン戦士として、同年の夏にはアメリカ・ワールドカップの優勝メンバーにも名を連ねていたレオナルド。それだけに驚きの挑戦でもあった。
彼は周囲の度肝を抜く、圧巻のプレーを披露した。とりわけ、Jリーグ・ニコスシリーズ第19節の横浜フリューゲルス戦でリフティングで相手DFをいなしてからねじ込んだボレー弾は、リーグ史に残るゴラッソと語られるほどの芸術的な一撃だった。
1996年の夏に退団するまで、多くのJリーグファンに愛された。ではなぜ、レオナルドは、日本へやってきたのか。その答を他でもない本人が明かした。
現地時間10月9日に衛星放送『Sky』など複数のイタリア・メディアの取材に応じたレオナルドは、当時「なぜだ?」という声も少なくなかったというJリーグ挑戦の理由として、真っ先に「ジーコの影響だ」と言い放った。
「ジーコは1991年に当時プロリーグのなかった日本でプレーしていた。あの時の彼は40歳を超えていて、一線級からは退いていた。だけど、日本のセミプロでサッカーをしていたんだ。その彼が私にこの話を持ち掛けてくれた。私はチャレンジが嫌いじゃなかったし、日本はいつも魅力的に感じていたから、私は正しい選択をしたと思っている」
さらに「本当に素晴らしい経験だった。彼らはとても正直で、美しい暮らしをしていた。私は彼らと深い関係にある」と日本への愛を強調したレオナルドは、こう続ける。
「やっぱりジーコの影響はある。フラメンゴのユースチームに所属していた私が子どもだった頃、彼は車の下に潜り込んでボールを僕に返してくれたことがあるんだ。彼はどんなスターよりも素朴な人だけど、ブラジルで象徴的人物になった。だから、私にとっても特別な存在だ。だからこそ、彼が日本行きを提案した時に僕はすぐに『わかった。いくよ』と答えたんだ。もちろんそれを後悔したことは一度たりともないよ」
サッカー界の“神様”の熱心な誘いを受け、Jリーグ挑戦を決意したレオナルド。彼にとって日本での2年間はいまもかけがえのないものになっているようだ。
構成●THE DIGEST編集部
【動画】圧巻のリフティングボレー! 芸術的なレオナルドのゴラッソをチェック
「サッカー王国の貴公子」が東洋の島国にやってきたのは、1994年の夏だった。当時、セレソン戦士として、同年の夏にはアメリカ・ワールドカップの優勝メンバーにも名を連ねていたレオナルド。それだけに驚きの挑戦でもあった。
彼は周囲の度肝を抜く、圧巻のプレーを披露した。とりわけ、Jリーグ・ニコスシリーズ第19節の横浜フリューゲルス戦でリフティングで相手DFをいなしてからねじ込んだボレー弾は、リーグ史に残るゴラッソと語られるほどの芸術的な一撃だった。
1996年の夏に退団するまで、多くのJリーグファンに愛された。ではなぜ、レオナルドは、日本へやってきたのか。その答を他でもない本人が明かした。
現地時間10月9日に衛星放送『Sky』など複数のイタリア・メディアの取材に応じたレオナルドは、当時「なぜだ?」という声も少なくなかったというJリーグ挑戦の理由として、真っ先に「ジーコの影響だ」と言い放った。
「ジーコは1991年に当時プロリーグのなかった日本でプレーしていた。あの時の彼は40歳を超えていて、一線級からは退いていた。だけど、日本のセミプロでサッカーをしていたんだ。その彼が私にこの話を持ち掛けてくれた。私はチャレンジが嫌いじゃなかったし、日本はいつも魅力的に感じていたから、私は正しい選択をしたと思っている」
さらに「本当に素晴らしい経験だった。彼らはとても正直で、美しい暮らしをしていた。私は彼らと深い関係にある」と日本への愛を強調したレオナルドは、こう続ける。
「やっぱりジーコの影響はある。フラメンゴのユースチームに所属していた私が子どもだった頃、彼は車の下に潜り込んでボールを僕に返してくれたことがあるんだ。彼はどんなスターよりも素朴な人だけど、ブラジルで象徴的人物になった。だから、私にとっても特別な存在だ。だからこそ、彼が日本行きを提案した時に僕はすぐに『わかった。いくよ』と答えたんだ。もちろんそれを後悔したことは一度たりともないよ」
サッカー界の“神様”の熱心な誘いを受け、Jリーグ挑戦を決意したレオナルド。彼にとって日本での2年間はいまもかけがえのないものになっているようだ。
構成●THE DIGEST編集部
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