サッカー史にその名を刻んだ点取り屋が、スパイクを脱いだ。現地時間12月15日、バルセロナに所属するアルゼンチン代表FWセルヒオ・アグエロが、現役引退を発表した。
「とても難しい瞬間だよ」――アグエロ自身がそう語るように、決して望んでいた引退ではない。今年10月30日に行なわれたアラベス戦で先発した33歳は、胸部に疼痛を訴え、前半で交代。その後、搬送先の病院で受けた検査の結果、不整脈と診断され、この決断に至った。
15日に行なわれた引退会見では、涙ながらに「10日前まで、少しでもプレーを続けられるようにとあらゆることをした。そのうえで最後は自分で決めた」と心境を口にしたアグエロ。約10年間在籍したマンチェスター・シティ時代には、単独クラブでの通算得点記録を更新する184ゴールを叩き込むなど、その類まれな得点感覚は、誰もが認めるものであった。
そんな名手の去り際に想いを馳せるひとびとは少なくない。元オランダ代表DFで、現在はFC岐阜でプレーするカルフィン・ヨンアピンも、そのうちのひとりだ。
2008年に行なわれた北京五輪の準々決勝で、オランダはアグエロに加え、リオネル・メッシやフアン・ロマン・リケルメらを擁したアルゼンチンと対峙。当時、センターバックとして驚異的なアタッカー陣の対応に追われたのがヨンアピンだった。
その後、2011年に日本へ活躍の場を移してからおよそ11年。35歳となったオランダ人DFは、全く異なるキャリアを歩んだ、かつてのライバルの引退に「なんて素晴らしいキャリアだっただろう」と自身のインスタグラムで想いを馳せた。
「僕は今までに対戦してきた相手で誰が最も手ごわかったかと聞かれた時には、いつもアグエロと答えるんだ。あの日のピッチにはメッシもいたから、この言葉の意味がわかると思う。彼と対戦して多くのことを学んだし、あの日、彼と同じ場にいれたことがどれだけ素晴らしいことだったかを、今になって実感している。ユニホームを交換しておけばよかった」
数多の名手とバトルを繰り広げてきたヨンアピン。そんな彼にとっても、アグエロは鮮烈なインパクトを残していたようだ。
構成●THE DIGEST編集部
「とても難しい瞬間だよ」――アグエロ自身がそう語るように、決して望んでいた引退ではない。今年10月30日に行なわれたアラベス戦で先発した33歳は、胸部に疼痛を訴え、前半で交代。その後、搬送先の病院で受けた検査の結果、不整脈と診断され、この決断に至った。
15日に行なわれた引退会見では、涙ながらに「10日前まで、少しでもプレーを続けられるようにとあらゆることをした。そのうえで最後は自分で決めた」と心境を口にしたアグエロ。約10年間在籍したマンチェスター・シティ時代には、単独クラブでの通算得点記録を更新する184ゴールを叩き込むなど、その類まれな得点感覚は、誰もが認めるものであった。
そんな名手の去り際に想いを馳せるひとびとは少なくない。元オランダ代表DFで、現在はFC岐阜でプレーするカルフィン・ヨンアピンも、そのうちのひとりだ。
2008年に行なわれた北京五輪の準々決勝で、オランダはアグエロに加え、リオネル・メッシやフアン・ロマン・リケルメらを擁したアルゼンチンと対峙。当時、センターバックとして驚異的なアタッカー陣の対応に追われたのがヨンアピンだった。
その後、2011年に日本へ活躍の場を移してからおよそ11年。35歳となったオランダ人DFは、全く異なるキャリアを歩んだ、かつてのライバルの引退に「なんて素晴らしいキャリアだっただろう」と自身のインスタグラムで想いを馳せた。
「僕は今までに対戦してきた相手で誰が最も手ごわかったかと聞かれた時には、いつもアグエロと答えるんだ。あの日のピッチにはメッシもいたから、この言葉の意味がわかると思う。彼と対戦して多くのことを学んだし、あの日、彼と同じ場にいれたことがどれだけ素晴らしいことだったかを、今になって実感している。ユニホームを交換しておけばよかった」
数多の名手とバトルを繰り広げてきたヨンアピン。そんな彼にとっても、アグエロは鮮烈なインパクトを残していたようだ。
構成●THE DIGEST編集部