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「クラブ史における最大の“鬼”」 ルーマニアのレジェンド守護神の死を受けてバルサ側メディアが歴史的屈辱を回想! 宿敵マドリーも「英雄」との逸話を紹介

THE DIGEST編集部

2024.12.05

ステアウアの守護神として欧州制覇に貢献し、ビッグイヤーを誇らしげに掲げるドゥカダム。(C)Getty Images

ステアウアの守護神として欧州制覇に貢献し、ビッグイヤーを誇らしげに掲げるドゥカダム。(C)Getty Images

 1985-86シーズンのチャンピオンズカップ(現リーグ)決勝で伏兵ステアウア・ブカレスト(現FCSB)のゴールを守り、スコアレスで突入したPK戦ではバルセロナのキッカー全4人のシュートをセーブして、後にも先にも唯一のルーマニア勢による初の欧州制覇に大貢献した伝説的なGKヘルムート・ドゥカダム(敬称略)が、12月2日に65歳でこの世を去った。

 以前から健康状態に問題を抱え、「40年間、1日18~22錠の薬を服用している。年間の薬代は5000~8000ユーロ(約80万~125万円)に達している」と明かしていたドゥカダムは、現役引退後に7度も身体にメスを入れており、今年9月には心臓の持病の悪化により開胸手術を敢行したが、残念ながら合併症により、ブカレストの陸軍病院で永遠の眠りについた。

 レジェンドの死を受けて、FCSBは「伝説の選手に対し、クラブの全ての選手とスタッフが哀悼の意を表する」、ルーマニア・サッカー連盟は「わが国のサッカー界は伝説を失い、このスポーツを愛する全ての人は模範を失った。彼は並外れたGKというだけでなく、不可能を現実に変える象徴だった」、そしてUEFA(欧州サッカー連盟)のアレクサンデル・チェフェリン会長は「彼がサッカーの歴史に残した軌跡の大きさは、まさに驚異的だ。それはサッカーが続く限り、輝きを放ち続けるだろう」と、それぞれ弔意を示している。
 
 口ひげをたくわえた193センチの長身GKは、1978年に故郷セムラクのクラブでデビューを飾ると、1982年には母国代表でも初キャップを刻み、同年に移籍したステアウアでは2度の国内リーグを制するとともに、冒頭で紹介したチャンピオンズカップ優勝に輝くチームを牽引。この年には、バロンドールの候補者にもノミネートされ、アヤックス時代のマルコ・ファン・バステンと同じ得票数で8位となった。

 しかし、このキャリアの絶頂期はあっという間に終焉を迎えた。右腕に血栓症を起こしたことで引退を余儀なくされたのだ。当時、欧州制覇を遂げたクラブは、年末に東京・国立競技場で南米王者とインターコンチネンタル・カップ(トヨタカップ)を戦っていたが、この舞台にも最高殊勲者の姿はなかった(ステアウアはアルゼンチンのリーベル・プレートに0-1で敗北)。

 この引退については、独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領の息子が、ドゥカダムがスペインのファン・カルロス国王から贈られた東欧では入手困難とされた高級車の譲渡を求めるも断られたことで、秘密警察に命じてルーマニアの官製クラブであるステアウアに所属するこの守護神を襲撃させた、あるいは大統領自身が狩猟中に同行させたドゥカダムの腕を撃ってしまったことが原因だという噂も流れたが、後に本人がいずれも否定。「当時は政権に対する憎悪が非常に強く、噂があっという間に広まった」と語ったという。
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決勝の開催地にちなんで「セビージャの英雄」と彼は呼ばれ続けた