「クバラツヘリア? 彼は移籍を望んでいる。本人が私にもはっきりそう言った。私にとっては大きな失望だ。この6か月間、彼がプロジェクトの中心にいると感じられるように力を尽くしてきた。契約延長の話もクラブとの間で進んでいるはずだった。しかし6か月後の今、すべては振り出しに戻ってしまった。ここから出て行きたい選手を鎖でつなぎ止めるわけにはいかない」
1月11日、セリエA第20節ヴェローナ戦の前日会見におけるアントニオ・コンテ監督(ナポリ)の言葉だ。
この2月に24歳になるジョージア代表FWのフビチャ・クバラツヘリアは、強力なドリブル突破と卓越したゴールセンスを武器とするセリエA屈指のウインガー。ナポリにとっては、2年前(2022ー23)の歴史的なスクデット獲得に多大なる貢献を果たした主力中の主力であり、チームの看板選手のひとりである。そのエースが突然移籍を志願したのだから、ショックは大きい。チームは1月14日時点でセリエA首位を走っているのだからなおさらである。
獲得に乗り出しているのはパリ・サンジェルマン。そのタレントにかねてから注目し、昨夏も獲得に乗り出したが、その時はナポリが選手サイドの説得に成功して残留という結論に落ち着いた。しかしそのパリSGが、冬の移籍ウィンドウが開いたこのタイミングで改めて獲得に動き、クバラツヘリアも今回はそれを受けることを決意。クラブに移籍を申し出たというのが、ここまでの経緯である。
ナポリとの契約はあと2年半、27年6月まで残っている。そうである以上、ナポリがパリSGのオファーをはねつければそれで済む話に見えるかもしれないが、事情はそれほど単純ではない。「鎖でつなぎ止めるわけにはいかない」というコンテの言葉通り、引き留めはきわめて難しいのが現実だ。
【動画】セリエA公式が配信したクバラツヘリアの"ゴール&アシストショー"!
クバラツヘリアが母国ジョージアのディナモ・バトゥミからナポリにやって来たのは、22年夏のこと。当時はまったくと言っていいほどの無名だったが、22ー23シーズンの開幕から桁違いの突破力でイタリア中を震撼させ、ディエゴ・マラドーナ時代の89ー90シーズン以来33年ぶりとなる歴史的なスクデットに主役として大きな貢献を果たした。
実はクバラツヘリアは、ロシアリーグでプレーしていた10代の頃から欧州メガクラブのスカウトたちにマークされていたタレントだった。しかし、当時所属していたルビン・カザンが高い値札を付けていたため、どこも手を出せない状況が続いていた。
ところが、22年2月にロシアのウクライナ侵攻が勃発したため、クバラツヘリアはFIFAの特例措置を利用して22年3月に母国のディナモ・バトゥミに完全移籍。それに素早く目をつけて接触したのが、当時ナポリでSDを務めていたクリスティアーノ・ジュントリ(現ユベントスFD)だった。ルビン・カザンがつけていた値札の半分以下、1330万ユーロ(当時約18億7500万円)で引き抜きに成功したのだ。
そういった事情もあり、ナポリと結んだ契約は年俸160万ユーロ(約2.6億円)という低水準。主力クラスの400~500万ユーロ(約6.5~8億円)と比べれば半分以下の数字である。それもあって、加入1年目に主力として優勝に大きく貢献して以降、代理人はクラブに対して大幅な年俸アップを伴う契約の見直しを求めていた。しかしナポリのアウレリオ・デ・ラウレンティス会長はそれを先延ばしにし続け、話が具体化しないまま2年目のシーズンが過ぎていった。
23ー24シーズンにナポリは優勝監督のルチャーノ・スパレッティとジュントリSDが去ったこともあり、監督が3人も入れ替わる波乱の1年を送り、10位という不本意きわまりない順位に沈むことになる。
そして迎えた24年夏、クラブとチームを取り巻く空気は最悪、チャンピオンズリーグはおろかヨーロッパリーグにすら出られないという状況の中で、欧州トップレベルのメガクラブであるパリSGから、現在の7倍近い年俸1100万ユーロ(約18億円。ボーナス込み)の5年契約というオファーが届く。クバラツヘリアが移籍を決意したのは当然だった。
1月11日、セリエA第20節ヴェローナ戦の前日会見におけるアントニオ・コンテ監督(ナポリ)の言葉だ。
この2月に24歳になるジョージア代表FWのフビチャ・クバラツヘリアは、強力なドリブル突破と卓越したゴールセンスを武器とするセリエA屈指のウインガー。ナポリにとっては、2年前(2022ー23)の歴史的なスクデット獲得に多大なる貢献を果たした主力中の主力であり、チームの看板選手のひとりである。そのエースが突然移籍を志願したのだから、ショックは大きい。チームは1月14日時点でセリエA首位を走っているのだからなおさらである。
獲得に乗り出しているのはパリ・サンジェルマン。そのタレントにかねてから注目し、昨夏も獲得に乗り出したが、その時はナポリが選手サイドの説得に成功して残留という結論に落ち着いた。しかしそのパリSGが、冬の移籍ウィンドウが開いたこのタイミングで改めて獲得に動き、クバラツヘリアも今回はそれを受けることを決意。クラブに移籍を申し出たというのが、ここまでの経緯である。
ナポリとの契約はあと2年半、27年6月まで残っている。そうである以上、ナポリがパリSGのオファーをはねつければそれで済む話に見えるかもしれないが、事情はそれほど単純ではない。「鎖でつなぎ止めるわけにはいかない」というコンテの言葉通り、引き留めはきわめて難しいのが現実だ。
【動画】セリエA公式が配信したクバラツヘリアの"ゴール&アシストショー"!
クバラツヘリアが母国ジョージアのディナモ・バトゥミからナポリにやって来たのは、22年夏のこと。当時はまったくと言っていいほどの無名だったが、22ー23シーズンの開幕から桁違いの突破力でイタリア中を震撼させ、ディエゴ・マラドーナ時代の89ー90シーズン以来33年ぶりとなる歴史的なスクデットに主役として大きな貢献を果たした。
実はクバラツヘリアは、ロシアリーグでプレーしていた10代の頃から欧州メガクラブのスカウトたちにマークされていたタレントだった。しかし、当時所属していたルビン・カザンが高い値札を付けていたため、どこも手を出せない状況が続いていた。
ところが、22年2月にロシアのウクライナ侵攻が勃発したため、クバラツヘリアはFIFAの特例措置を利用して22年3月に母国のディナモ・バトゥミに完全移籍。それに素早く目をつけて接触したのが、当時ナポリでSDを務めていたクリスティアーノ・ジュントリ(現ユベントスFD)だった。ルビン・カザンがつけていた値札の半分以下、1330万ユーロ(当時約18億7500万円)で引き抜きに成功したのだ。
そういった事情もあり、ナポリと結んだ契約は年俸160万ユーロ(約2.6億円)という低水準。主力クラスの400~500万ユーロ(約6.5~8億円)と比べれば半分以下の数字である。それもあって、加入1年目に主力として優勝に大きく貢献して以降、代理人はクラブに対して大幅な年俸アップを伴う契約の見直しを求めていた。しかしナポリのアウレリオ・デ・ラウレンティス会長はそれを先延ばしにし続け、話が具体化しないまま2年目のシーズンが過ぎていった。
23ー24シーズンにナポリは優勝監督のルチャーノ・スパレッティとジュントリSDが去ったこともあり、監督が3人も入れ替わる波乱の1年を送り、10位という不本意きわまりない順位に沈むことになる。
そして迎えた24年夏、クラブとチームを取り巻く空気は最悪、チャンピオンズリーグはおろかヨーロッパリーグにすら出られないという状況の中で、欧州トップレベルのメガクラブであるパリSGから、現在の7倍近い年俸1100万ユーロ(約18億円。ボーナス込み)の5年契約というオファーが届く。クバラツヘリアが移籍を決意したのは当然だった。
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