現在、プロとして活躍している選手も、現役を引退してコーチをしている人も、小さい頃には憧れのプロがいたはずだ。【プロが憧れたプロ】シリーズの第29回は、現在開催中の全日本テニス選手権に第4シードとして出場している関口周一選手。
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憧れの選手について聞くと「間違いなくアガシです」と即答。きっかけは1999年全仏オープン決勝のビデオをレンタルしたことだった。
8歳当時、関口はタイに住んでおり、そこでテニスをしていた。タイでプロの試合のビデオをレンタルできるところがあり、親に何度か借りてもらったが、あまり響くものはなかったと言う。
しかし、アガシの試合は違った。「2セットダウンからメドベデフに逆転勝利。バックのダウンザラインがすごい。雰囲気とか、試合後に投げキッスをするのもカッコよかった」とまるで、今見てきたかのように詳しく話す。「テープが切れるかと思うぐらい見ました」と言うのも納得だ。
それ以来、アガシのファンとなった関口は徹底的にマネを始める。サービスではトスした左手をくるっと回すようにしたし、小学低学年にしてキックサービスにもトライした。ビデオだけでなく、写真も見つけると切り抜きをして、それを参考にして同じグリップにした。その影響か「バックハンドはうまかったですね」と、得意ショットも同じになった。
ラケットにもこだわりを見せていく。「アガシは当時、ヘッドのラジカルだったので、親に頼んで買ってもらい、グリップもトーナグリップにして、全部合わせました。マジックでヘッドのステンシルも自分で入れました(笑)。当時はロゴの丸が赤だったので、それもちゃんと赤にして」と笑いながら振り返る。
タイから帰国して日本でテニスをするようになると、ラケットも打ち方もアガシそっくりだったため、「アガシ」と呼ばれるようになる。「うれしかったですね」と誇らしげだ。
憧れたアガシのようになりたくて、とことん研究してマネをしていた関口。プロとなった現在でも色々な選手のマネをするのがうまく、器用に様々なショットを打てることにつながっている。テニスにのめり込むきっかけとなったアガシは、その過程を経て、テニスを上達させるためにも重要な存在だった。
取材・文●赤松恵珠子(スマッシュ編集部)
取材協力●みらいカップ2021
【PHOTO】第97回全日本テニス選手権、関口ら、奮闘する選手たちの厳選写真 vol.2
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憧れの選手について聞くと「間違いなくアガシです」と即答。きっかけは1999年全仏オープン決勝のビデオをレンタルしたことだった。
8歳当時、関口はタイに住んでおり、そこでテニスをしていた。タイでプロの試合のビデオをレンタルできるところがあり、親に何度か借りてもらったが、あまり響くものはなかったと言う。
しかし、アガシの試合は違った。「2セットダウンからメドベデフに逆転勝利。バックのダウンザラインがすごい。雰囲気とか、試合後に投げキッスをするのもカッコよかった」とまるで、今見てきたかのように詳しく話す。「テープが切れるかと思うぐらい見ました」と言うのも納得だ。
それ以来、アガシのファンとなった関口は徹底的にマネを始める。サービスではトスした左手をくるっと回すようにしたし、小学低学年にしてキックサービスにもトライした。ビデオだけでなく、写真も見つけると切り抜きをして、それを参考にして同じグリップにした。その影響か「バックハンドはうまかったですね」と、得意ショットも同じになった。
ラケットにもこだわりを見せていく。「アガシは当時、ヘッドのラジカルだったので、親に頼んで買ってもらい、グリップもトーナグリップにして、全部合わせました。マジックでヘッドのステンシルも自分で入れました(笑)。当時はロゴの丸が赤だったので、それもちゃんと赤にして」と笑いながら振り返る。
タイから帰国して日本でテニスをするようになると、ラケットも打ち方もアガシそっくりだったため、「アガシ」と呼ばれるようになる。「うれしかったですね」と誇らしげだ。
憧れたアガシのようになりたくて、とことん研究してマネをしていた関口。プロとなった現在でも色々な選手のマネをするのがうまく、器用に様々なショットを打てることにつながっている。テニスにのめり込むきっかけとなったアガシは、その過程を経て、テニスを上達させるためにも重要な存在だった。
取材・文●赤松恵珠子(スマッシュ編集部)
取材協力●みらいカップ2021
【PHOTO】第97回全日本テニス選手権、関口ら、奮闘する選手たちの厳選写真 vol.2