「誰もが納得する、一流コーチ」――。
大坂なおみがジャーメイン・ジェイキンスと離別し、父親をコーチとしていた2019年シーズン終盤の時点で、すでに大坂陣営からは、そのような声が聞こえていた。
果たして明らかになったコーチの名は、確かに誰もが納得する人物である。
ウィム・フィセッテ。過去に数々の世界1位の傍らに立った、女子テニス界の優勝請負人だ。
プレーヤーとしては1291位が最高位の、1980年生まれの39歳。ツアーコーチのキャリアもまだ10年ほどながら、彼がいかにして高い評価と信用を獲得してきたかは、指導してきた選手たちのリストを見れば一目瞭然だろう。
フィセッテがその名を広く知られたのは2009年、復活のキム・クリステルスのコーチの肩書を得た時のこと。24歳にして第1次現役キャリアを終えたクリステルスは、出産を経た2年後に、ツアーの舞台に戻ってくる。
この発表そのものも驚きであったが、それ以上に人々を驚嘆させたのは、復帰わずか2カ月後の全米オープンで、一気に頂点へと駆け上がったことだ。そのフェアリーテイルの背後にいる人物は何者かと、当時まだ無名に近い若きコーチは、会見の席にも引っ張り出された。 クリステルスが2度目の引退でツアーを去ったその後も、フィセッテのコーチキャリアは確固たる実績と共に加速していく。まずはサビーネ・リシッキのコーチとなり、就任の年に彼女をウインブルドン決勝まで引き上げた。
その翌年にはシモナ・ハレップに腕を買われ、さらに2015年からは、ビクトリア・アザレンカのコーチに就任した。当時のアザレンカは相次ぐケガに悩まされ、ランキングも50位前後まで落としていた時分。だがフィセッテ期に入ってからは、インディアンウェルズとマイアミの北米2大大会で連続優勝を果たすなど、第2のキャリア絶頂期を迎えた。
この幸福な関係はアザレンカの妊娠により途絶えるが、そこからもフィセッテはヨハンナ・コンタ、さらに直近ではアンジェリーク・ケルバーとトップ選手を渡り歩き、そのいずれの選手にもビッグタイトルをもたらしてきた。
大坂なおみがジャーメイン・ジェイキンスと離別し、父親をコーチとしていた2019年シーズン終盤の時点で、すでに大坂陣営からは、そのような声が聞こえていた。
果たして明らかになったコーチの名は、確かに誰もが納得する人物である。
ウィム・フィセッテ。過去に数々の世界1位の傍らに立った、女子テニス界の優勝請負人だ。
プレーヤーとしては1291位が最高位の、1980年生まれの39歳。ツアーコーチのキャリアもまだ10年ほどながら、彼がいかにして高い評価と信用を獲得してきたかは、指導してきた選手たちのリストを見れば一目瞭然だろう。
フィセッテがその名を広く知られたのは2009年、復活のキム・クリステルスのコーチの肩書を得た時のこと。24歳にして第1次現役キャリアを終えたクリステルスは、出産を経た2年後に、ツアーの舞台に戻ってくる。
この発表そのものも驚きであったが、それ以上に人々を驚嘆させたのは、復帰わずか2カ月後の全米オープンで、一気に頂点へと駆け上がったことだ。そのフェアリーテイルの背後にいる人物は何者かと、当時まだ無名に近い若きコーチは、会見の席にも引っ張り出された。 クリステルスが2度目の引退でツアーを去ったその後も、フィセッテのコーチキャリアは確固たる実績と共に加速していく。まずはサビーネ・リシッキのコーチとなり、就任の年に彼女をウインブルドン決勝まで引き上げた。
その翌年にはシモナ・ハレップに腕を買われ、さらに2015年からは、ビクトリア・アザレンカのコーチに就任した。当時のアザレンカは相次ぐケガに悩まされ、ランキングも50位前後まで落としていた時分。だがフィセッテ期に入ってからは、インディアンウェルズとマイアミの北米2大大会で連続優勝を果たすなど、第2のキャリア絶頂期を迎えた。
この幸福な関係はアザレンカの妊娠により途絶えるが、そこからもフィセッテはヨハンナ・コンタ、さらに直近ではアンジェリーク・ケルバーとトップ選手を渡り歩き、そのいずれの選手にもビッグタイトルをもたらしてきた。