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海外テニス

25歳の頃に抱いていた30歳の自分。錦織圭がその地点に立ち、感じる前向きな”ギャップ”とは?【男子テニス】

内田暁

2020.04.04

3月のデビスカップ予選では高田充コーチとサービス練習に取り組んでいた。(C)GettyImage

3月のデビスカップ予選では高田充コーチとサービス練習に取り組んでいた。(C)GettyImage

「今のところ、年齢は全く気にしてないですね。20代前半の頃は、やめるのが30歳くらいかと思ってましたが、今のところ全くないので。いつまでやるんだろう、いつまでできるんだろうという不安はありますが、それだけですかね、自分でも不思議なんですが。身体のことでやめるのか、モチベーションなのか……やめる理由というのが、色んな人に聞いてもいろいろあるので。自分にとってどちらが先にくるのか、まだ予想がつかないです」

 この言葉から5カ月後の2019年10月、錦織は痛む肘にメスを入れ、以降、まだ公式戦の場に戻ってきてはいない。昨年末に放送されたWOWOWのインタビューでは、術後はたまらぬ不安と焦燥に飲み込まれ、号泣するほどに塞ぎ込んだ時期があったことも明かした。

 それでも昨年末には、ケガの再発を防ぐためにも、抜本的なサービスフォームの改善に取り組んでいることを明言。さらに今年3月、デビスカップメンバーとしてビーンズドームに姿を現した時も、ナショナルコーチの高田充氏と共にサービス練習を丹念に繰り返し、撮影した動画をタブレットで確認する姿が見られた。
 
 思えば、10年前――錦織がやはり右肘の手術をした際、コーチや両親をはじめとする“チーム・ケイ”内では、フォアのフォームを変えるべきか、あるいはそのままで行くべきかで意見が割れたという。

「フォアの打ち方を変えたら、同じ選手ではなくなってしまう」
 そう訴える声もあったが、父の清志氏は、「同じ選手である必要はない。ケガをしないことが一番」と強く主張した。

 そうして最終的に錦織は、身体を軸で回転させ、腕は回転に引っ張られ体幹に巻き付くように振る、肘への負担の少ないフォームを体得する。
「あいつには、30歳になっていても翔んでいて欲しいけん……」
 復帰した我が子のプレーを見てポツリとこぼした、清志氏の言葉が忘れられない。

 それから10年後。彼は再び、あの時と似た道を歩んでいる。
 30歳を過ぎてもなお、飛び続けるために。

取材・文●内田暁

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