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海外テニス

天才少女セレスを襲った悲劇。テニス界のみならずスポーツ界全体に衝撃をもたらした刺傷事件から27年

東真奈美

2020.05.02

これまでの功績から、2009年には国際テニス殿堂入りを果たした。(C)GettyImages

これまでの功績から、2009年には国際テニス殿堂入りを果たした。(C)GettyImages

 しかし、外傷よりもセレスの心理的な傷の方がはるかに深かった。襲撃された記憶は彼女をひどく動揺させ、長らく不安と睡眠障害に苦しむ日々を強いられた。さらに、犯人のパルチェは、セレスへの殺意はなく、グラフをトップに戻すのに必要な期間だけ彼女を傷つけたかったと供述し、彼に下された判決は、2年の執行猶予付きの実刑だったことも彼女を苦しめた。

 プレーできなくなってしまった当時世界ランク1位のセレスに対し、1位の座を凍結するべきかの決議が行なわれたが、これを棄権したガブリエラ・サバチーニを除いて、他のトップ選手たち全員が反対票を投じた。そして事件からわずか5週間後、グラフは世界ランキング1位に返り咲いた。まさに犯人の思惑通りとなってしまったのだ。セレスがツアーから離れている間に開催された10のグランドスラムのうち、グラフは6大会で優勝を飾った。
 
 時間から2年以上の歳月を経た1995年8月、セレスはいよいよツアーに復帰した。 WTAはセレスのランキングを、グラフと共に1位タイとする特別措置を実施し、復帰戦のカナダオープンでは、1セットも落とさない見事な勝ち上がりで優勝を決めた。翌月の全米オープンでも、決勝まで素晴らしいプレーを見せたが、グラフとの世界ランク1位同士の決勝戦には、善戦及ばず6-7、6-0、3-6で敗れた。

 翌1996年の全豪オープンでは、復帰後初の、そして最後のグランドスラムトロフィーを掲げた。復帰後の彼女のプレーが素晴らしかったことに間違いはないが、以前のような圧倒的な強さは見られなくなった。

 この事件が、選手としての彼女の未来にどれだけ影響したかを判断することは決して容易ではないが、この悲劇がなければ、テニスの歴史はもっと違ったものになっていただろう。

構成●東真奈美

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