マッケンローがレンドルに勝てなかった間(それは2年近く続くのだが)、彼はこの世から消えてなくなりたいほどの屈辱感に悩まされ続けていた。
「ボルグを打ち破った俺が、何であんな男に屈しなければならないんだ」
ボルグに対してはいつも敬意を払っていたマッケンローも、一つ歳下のレンドルには、敵意をむき出しにした。その全人格がどうも好きになれなかったのだ。
「たとえば、2人が夕食を共にしたとする。なんとか友好のうちに時を過ごそうとして、たわいない駄ジャレをとばすのはマッケンローの方だ。しかし、レンドルは乗ってこない。それが退屈な義務であるかのように、黙々と食事に精を出している。そして、食事を済ませると、冷ややかに言う。ここの勘定はどっちが払うんだい?」
マッケンローはレンドルをそのテの男だと考えている。つまり、絶対に食事を共にしたくないタイプだと――
こうしたマッケンローの反感が、実はテニス以上に複雑な事情から起因していることを見逃してはいけない。両者の間には、民族対立というしがらみが深くまとわりついているのだ。
マッケンローはアイルランド系であり、レンドルはスラブ系であるわけだが、アイルランド系はスラブ系を嫌う。それには理由がある。
アイルランド系の祖先はケルト人だが、この民族はもともと、ヨーロッパの中西部、現在のチェコあたりに住んでいた。早くから青鍋器や鉄器を持ち優秀な民族だったが、起元前の頃に東方から進出してきた民族に国を追われる羽目になった。ケルト人を追い出した民族の一つがスラブ人だった。
国を追われたケルト人は放浪の果て、ようやくアイルランドにたどりついた。悲劇はまだ終わらない。12世紀にイギリスに侵略されて以来、植民地支配で長く貧困の極に追いつめられた。アイルランド系というのは、世界史の中でも、最も悲劇的な民族の一つなのである。
その悲劇の根源はといえば、20世紀以上も前に祖国をスラブ系に追い出されたことに他ならない。アイルランド系の祖先の国(現在のチェコ周辺)はスラブ系がでんと居すわっているのである。それだけに、いまだにスラブ系への憎しみは強い。アイルランド系であることの誇りを大切にするマッケンローが、そうした民族感情に無神経でいられるはずがない。
つまり、マッケンローとレンドルの対載は、単にスポーツの一武合ということに止まらず、アイルランド系とスラブ系の代理戦争のような様相を呈していたのだ。マッケンローとしても、ぜひとも負けられない相手だった。
それが痛恨の6連敗。その後、1983年はじめのボルボマスターズ決勝でも完敗して7連敗するに至って、マッケンローの尊厳はズタズタに傷つくことになった。
(続く)
文●立原修造
※スマッシュ1986年9月号から抜粋・再編集
【PHOTO】マッケンローetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1
「ボルグを打ち破った俺が、何であんな男に屈しなければならないんだ」
ボルグに対してはいつも敬意を払っていたマッケンローも、一つ歳下のレンドルには、敵意をむき出しにした。その全人格がどうも好きになれなかったのだ。
「たとえば、2人が夕食を共にしたとする。なんとか友好のうちに時を過ごそうとして、たわいない駄ジャレをとばすのはマッケンローの方だ。しかし、レンドルは乗ってこない。それが退屈な義務であるかのように、黙々と食事に精を出している。そして、食事を済ませると、冷ややかに言う。ここの勘定はどっちが払うんだい?」
マッケンローはレンドルをそのテの男だと考えている。つまり、絶対に食事を共にしたくないタイプだと――
こうしたマッケンローの反感が、実はテニス以上に複雑な事情から起因していることを見逃してはいけない。両者の間には、民族対立というしがらみが深くまとわりついているのだ。
マッケンローはアイルランド系であり、レンドルはスラブ系であるわけだが、アイルランド系はスラブ系を嫌う。それには理由がある。
アイルランド系の祖先はケルト人だが、この民族はもともと、ヨーロッパの中西部、現在のチェコあたりに住んでいた。早くから青鍋器や鉄器を持ち優秀な民族だったが、起元前の頃に東方から進出してきた民族に国を追われる羽目になった。ケルト人を追い出した民族の一つがスラブ人だった。
国を追われたケルト人は放浪の果て、ようやくアイルランドにたどりついた。悲劇はまだ終わらない。12世紀にイギリスに侵略されて以来、植民地支配で長く貧困の極に追いつめられた。アイルランド系というのは、世界史の中でも、最も悲劇的な民族の一つなのである。
その悲劇の根源はといえば、20世紀以上も前に祖国をスラブ系に追い出されたことに他ならない。アイルランド系の祖先の国(現在のチェコ周辺)はスラブ系がでんと居すわっているのである。それだけに、いまだにスラブ系への憎しみは強い。アイルランド系であることの誇りを大切にするマッケンローが、そうした民族感情に無神経でいられるはずがない。
つまり、マッケンローとレンドルの対載は、単にスポーツの一武合ということに止まらず、アイルランド系とスラブ系の代理戦争のような様相を呈していたのだ。マッケンローとしても、ぜひとも負けられない相手だった。
それが痛恨の6連敗。その後、1983年はじめのボルボマスターズ決勝でも完敗して7連敗するに至って、マッケンローの尊厳はズタズタに傷つくことになった。
(続く)
文●立原修造
※スマッシュ1986年9月号から抜粋・再編集
【PHOTO】マッケンローetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1