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海外テニス

【レジェンドの素顔12】ステファン・エドバーグの“はじらい”から自信みなぎるプレーへの変化│後編<SMASH>

立原修造

2023.03.17

エドバーグはコーチの“アメとムチ”作戦によって試合数をこなし、勝つことで自信をつかんでいった。写真:スマッシュ写真部

エドバーグはコーチの“アメとムチ”作戦によって試合数をこなし、勝つことで自信をつかんでいった。写真:スマッシュ写真部

勝つことで自信をつかみ、重王から解放されるように

 さらにエドバーグの焦りを募らせたのが、ボリス・ベッカーの登場である。ベッカーは1985年ウインブルドンの史上最年少優勝を果たし、彗星のようにテニス界にデビューした。

 ベッカーの活躍が目立てば目立つほど、“エドバーグはどうした!”という声が聞かれるようになった。ジュニア時代の実績ではエドバーグがベッカーを大きく上回っていただけに、2人が興味本位に比較されてしまうのも仕方のないことだった。

「あの頃の僕は思うようなプレーができないでいた。けれど、焦りは禁物だと自分に言いきかせたんだ。僕にもきっとチャンスがあるってね」

 この頃のエドバーグを心技両面で支えたのが、コーチのトニー・ピッカードであった。1950年代のイギリスを代表するデピスカップ選手であり、コーチとして選手を見る目も卓越したものがあった。

 ピッカードは、エドバーグに欠けているものは、何よりも“自信”であると見抜いた。このままでは才能を埋もれさせてしまう危険すらあると考えたのである。
 
 そこで、エドバーグの性格を把握した上で、徹底した精神力の強化に乗り出した。方法としては、アメとムチを巧みに使いこなすことであった。この場合のアメとは、エドバーグを徹底的におだてあげることである。

“キミのボレーにはマックだって及ばない!”
“才能ではベッカー以上なんだ!”

 ピッカードはその気にさせることがうまい。

「いつも楽観的に考えることをピッカードから教わった。ツキは必ず自分にくるってね。長いゲームで疲れた時、そのアドバイスがどんなに励みになったかわからないほどさ」

 一方、ムチ作戦は、できるだけ多くの大会に出場することであり、精神面を鍛える上でも経験を積む上でも、それがベストであると考えたのである。そこでエドバーグは、ちょっとした休養をとるのも惜しむかのように、積極的にトーナメントに参加し始めた。

 まさに、執念とも思えるエドバーグの決意だった。1986年に、エドバーグが出場したグランプリ・トーナメントは23。これにデビスカップやエキジビションを加えると、ほぼ毎週のように試合をしていた計算になる。しかも、シングルスだけでなく、ダブルスでも活躍している。特にダブルスは、サーブ&ボレーを鍛える上で、もってこいの場だった。

 1986年後半から優勝回数を増やしていったエドバーグは、1987年に入ってから、ジャパンオープンまでに3勝を挙げている。特に全豪オープン2連覇が大きかった。勝つことでエドバーグは自信をつかみ、それによって重圧から解放されるようになった。自然と笑みがこぼれるはずである。

文●立原修造
※スマッシュ1987年7月号から抜粋・再編集
(この原稿が書かれた当時と現在では社会情勢等が異なる部分もあります)

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