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海外テニス

「次は大丈夫」全仏オープンテニス初挑戦の坂詰姫野は予選敗退に終わるも手応え!「この舞台がベースになるようにしたい」<SMASH>

内田暁

2023.05.26

迷っていた時期に巡り合えた吉田コーチ(右)との二人三脚で今や日本を代表する選手にまでに成長した坂詰(写真は今年の日本リーグ)。写真:THE DIGEST写真部

迷っていた時期に巡り合えた吉田コーチ(右)との二人三脚で今や日本を代表する選手にまでに成長した坂詰(写真は今年の日本リーグ)。写真:THE DIGEST写真部

「ここに来るのは、代表の監督をしていた時以来ですね」

 少しばかり懐かしそうに笑う吉田友佳の首には、今は「Coach of Himeno Sakatsume(坂詰姫野のコーチ)」のパスが下げられている。選手時代の最高位は、単52、複51位。2013年から2015年までフェドカップの日本代表監督を務めた、選手としても監督としても経験豊かな人物だ。

 吉田が坂詰を指導するようになったのは、坂詰が16歳の時。自身が立ち上げたテニスアカデミー“Team YUKA”主催の合宿イベント参加応募者に、坂詰の名を見たのがきっかけだった。

 当時の坂詰は既に、日本国内ではトップジュニア。その選手が一般参加を希望するのかと、吉田はいぶかしがったという。

「あのサカツメさん? でも珍しい名前だから、同姓同名の他人ということはないよね…」

 半信半疑でイベント当日を迎えると、現れたのは、やはり“あのサカツメさん”である。当時、「自分のテニスを見失っていた」坂詰は、あるいはすがるような思いで応募したのかもしれない。

 実際に合宿に参加し、吉田やトレーナー陣の指導を受けた坂詰は、2カ月後にはTeamYUKAの拠点近くに部屋を見つけ、地元の新潟から移ってきた。高校2年生時には高校も通信制のそれに変え、17歳でプロ転向。以降、吉田は一貫して坂詰のコーチである。

 それから5年後の、今年2月――。坂詰が日本代表入りの打診を受けた時、吉田も迷わず、本人の参加の意向を後押しした。
 
 全仏予選入りを考えれば難しい時期ではあるが、「そこまでにランキングを上げられなかったら、まだ実力が足りないということ」と、目先の結果には執着しない。それ以上に「代表として戦うことで得る物が大きい」ことを、吉田は自身の選手としての、そして監督としての経験から誰よりも知り尽くしているからだ。

 果たして坂詰は、初代表の経験を「本当に良かった」と述懐する。

「チームのサポートが素晴らしく、選手たちは本当に試合だけに集中させてもらった。自分も、それに応えるだけのプレーができたと思うし、本当に良い経験になりました」

 BJK杯後の5月上旬、坂詰は岐阜で開催されたITF6万ドルの大会に出場し、頂点へ駆けあがる。

「BJK杯があったから岐阜も優勝できたと思うし、全てが自分の身になったなと思います」

 そう断言することを、坂詰は迷わなかった。

 その岐阜で優勝したことで、ランキングは200位以内に上昇。今後のスケジュールは、かなり立てやすくなった。

「今回は緊張もあったけれど、一度経験したので、次は大丈夫だと思う。また次のウインブルドン、全米オープンと、この舞台がベースになるようにしたい。ここでしか味わえない雰囲気や、ここでしか対戦できない相手やレベルの中で、自分が勝っていけるように、さらに強くなりたいなって思えました」

 初めて立った舞台で得た、新たな視座と目的意識。それが今回、坂詰が手にした何より大きな収穫だ。

現地取材・文●内田暁

【PHOTO】世界で戦う坂詰ら日本人女子テニスプレーヤーたち!

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