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海外テニス

女子テニス界を激変させた50年前の「WTA創設」!あの時ロンドンのホテルで何が起きていたのか<SMASH>

内田暁

2023.07.02

女子テニスの地位向上を目指して生まれたWTAが創設50周年を迎え、思い出の英ミレニアムホテルで祝賀会が開かれた。(C)Getty Images

女子テニスの地位向上を目指して生まれたWTAが創設50周年を迎え、思い出の英ミレニアムホテルで祝賀会が開かれた。(C)Getty Images

「正直に言うと、あの時は、怖かった。すごくワクワクもしていたけれど、すごく怖かった」

 かのビリー・ジーン・キングは、50年前の自分をそこに探すかのように、ミレニアムホテルの一室を見渡しながら言葉を紡いだ。

 1973年6月21日——。ウインブルドン開幕を一週間後に控えたその日、ロンドン市内の中枢にそびえるミレニアムホテルの会議室で、彼女は女子テニス界を……いや、女子スポーツそのものの歴史を変えるアクションを起こそうとしていた。

 数年前から、男女の賞金やメディア露出の格差改善を求めるも、全米テニス協会からは要求を却下される。「ならば、女子選手だけの大会を立ち上げよう」と、たばこメーカーのバージニア・スリムスをメインスポンサーに、女子プロテニスツアーを設立したのが1970年。

 それから3年。キングは、女子テニス協会(WTA)創設を訴え、「同じ志を持つ者はこの日、この場所に集まるように」とウインブルドン参戦選手たちに声を掛けた。

「そうは言ったが、本当にみんな来てくれるだろうか……?」

 50年前のミレニアムホテルのミーティングルームで、彼女が恐れていたのは、その一点だった。
 
 果たして恐れは、杞憂に終わる。ホテルの部屋には次々と、選手たちが姿を現した。

「ドアを閉めて! 選手たちを外に出しちゃだめよ!」

 キングは、同志の一人であるベティ・ストーベ(オランダ)に、すかさず声を掛けたという。

「なぜベディだったかって? 彼女が一番、大柄で適任だったからよ!」

 50年後に同じ部屋で、隣に座るストーベの顔を見上げながらキングが笑う。

「私は聞き返したわよ。『中に入れさせないんじゃなくて、出させないのね』って。でも実際には部屋の外にも中の様子を伺おうとしていた人たちがいたから、私は両サイドからドアをガードしていたのよ!」

 誇らしげなオランダ人の言葉に、“WTA50周年祝賀会”に集った人々から笑い声があがった。

 キングがホテルに選手を集めていることで、大会関係者やメディアは「選手たちはウインブルドンをボイコットするようだ」と憶測していたという。実際には、集まった64選手の満場一致で、WTAの創設が可決された。

 その3週間後――。ビリー・ジーン・キングはウインブルドンの単複、さらには混合ダブルスまでも制し、彼女こそが名実ともに女子テニスのリーダーであることを示す。

 そしてこの年、女子ジュニア部門の決勝戦で、マルチナ・ナブラチロワを破り頂点に立ったのが、当時17歳の日系アメリカ人、アン・キヨムラだった。
 
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