「青山さんとは、誰もが組みたいと思いますよね。やっぱり日本のダブルスを長く引っ張ってきた先輩ですし、オンコートでもオフコートでも、プロフェッショナルですから」
今や日本のエース格に成長した内島萌夏は、ラブコールを送り続けて射止めた“新ダブルスパートナー”について、溢れる敬意を言葉にぎゅっと押し込めた。内島が今年の全仏オープンでダブルスを組むのは、青山修子。身長154センチと小柄ながら、ダブルスのキャリア通算ツアー優勝は20を数え、キャリア最高位は4位。現在は52位。長く日本代表としても戦い、先月のビリージーンキングカップで日本歴代最多となる26勝目を記録した。
37歳を迎えた今もケガは少なく、今季も既に15大会に出場するなどフル稼働。5月からは新たな所属先の安藤証券の支援も得て、より身体のケアに気を配っているという。
今や数々の記録を打ち立て、後輩たちからも敬意を集める青山だが、ジュニア時代は日本国内でも、際立った戦績を残していたわけではなかった。
「ダブルスは意外に、全日本ジュニアの16歳以下と18歳以下で優勝しています。でもシングルスは、全日本ジュニア18歳以下のベスト16が最高」と青山。全国優勝の戦績を「意外に」と評するあたりが、いかにも謙虚な彼女らしい。10代の頃は、海外遠征の経験もなし。
「世界で戦うということすら知らなかった。当時の自分に、将来今みたいになるよと言っても、信じないと思います」
それが青山が述懐する、20年前の自分自身だ。
そんな、控えめな少女に訪れた転機については、本人の中に明確な「あの時」がある。
「やはり早稲田大学に入ったというのは、一番大きなターニングポイントだったかなと思います。当時の早稲田は大学の中で一番強く、同期にもすごく良い選手たちがいた。『プロを目指す』と言っていた選手もいたので、そういう強いライバルがたくさん身近にいる環境で、色々揉まれたと思います」
常勝早稲田の看板と、皆で共有する高い目標が、青山の意識をも変えていく。
「勝負に対する厳しさだったり、団体生活も学ばせていただいた。それがプロになってからも、すごく生きているなと感じます」
初めての海外遠征に出たのも、大学に入ってから。「当時はまだ、プロになるなど具体的な目標は抱けなかった」というが、徐々に国際大会で結果を出していった。大学4年生時には、ツアー下部大会に属するITFトーナメントで国際大会初優勝。卒業後にプロ転向を果たすと、翌年にはウインブルドのダブルス予選を突破し初のグランドスラム本戦出場。2013年には、同じくウインブルドンでベスト4へと躍進し、ツアープロの地位を確立した。
なお、青山の身体能力の高さやストイックにトレーニングする姿は選手間では有名で、様々なエピソードも漏れ聞こえてくる。そのことを本人に伝えると、「いやいや、普通ですよ」と謙遜しつつも、こう続けた。
「小学生の頃から、いわゆる運動神経は良い部類には入っていて、なので身体を動かすのは大好きでした。トレーニングもやり始めた頃から、きついんですけど、楽しい気持ちが先に来た。それもあって継続できているのかな? 私は正直、テニスの能力は低いので、運動能力だけで戦わせていただいている感じです」
ネットに隠れるように身をかがめ、息をひそめ、草陰から獲物を捕らえるがごとくボールに飛びつく高速ポーチは、青山修子の専売特許。今大会では、内島という大砲タイプとの連携で、巧の技に一層の磨きを掛けていく。
現地取材・文●内田暁
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今や日本のエース格に成長した内島萌夏は、ラブコールを送り続けて射止めた“新ダブルスパートナー”について、溢れる敬意を言葉にぎゅっと押し込めた。内島が今年の全仏オープンでダブルスを組むのは、青山修子。身長154センチと小柄ながら、ダブルスのキャリア通算ツアー優勝は20を数え、キャリア最高位は4位。現在は52位。長く日本代表としても戦い、先月のビリージーンキングカップで日本歴代最多となる26勝目を記録した。
37歳を迎えた今もケガは少なく、今季も既に15大会に出場するなどフル稼働。5月からは新たな所属先の安藤証券の支援も得て、より身体のケアに気を配っているという。
今や数々の記録を打ち立て、後輩たちからも敬意を集める青山だが、ジュニア時代は日本国内でも、際立った戦績を残していたわけではなかった。
「ダブルスは意外に、全日本ジュニアの16歳以下と18歳以下で優勝しています。でもシングルスは、全日本ジュニア18歳以下のベスト16が最高」と青山。全国優勝の戦績を「意外に」と評するあたりが、いかにも謙虚な彼女らしい。10代の頃は、海外遠征の経験もなし。
「世界で戦うということすら知らなかった。当時の自分に、将来今みたいになるよと言っても、信じないと思います」
それが青山が述懐する、20年前の自分自身だ。
そんな、控えめな少女に訪れた転機については、本人の中に明確な「あの時」がある。
「やはり早稲田大学に入ったというのは、一番大きなターニングポイントだったかなと思います。当時の早稲田は大学の中で一番強く、同期にもすごく良い選手たちがいた。『プロを目指す』と言っていた選手もいたので、そういう強いライバルがたくさん身近にいる環境で、色々揉まれたと思います」
常勝早稲田の看板と、皆で共有する高い目標が、青山の意識をも変えていく。
「勝負に対する厳しさだったり、団体生活も学ばせていただいた。それがプロになってからも、すごく生きているなと感じます」
初めての海外遠征に出たのも、大学に入ってから。「当時はまだ、プロになるなど具体的な目標は抱けなかった」というが、徐々に国際大会で結果を出していった。大学4年生時には、ツアー下部大会に属するITFトーナメントで国際大会初優勝。卒業後にプロ転向を果たすと、翌年にはウインブルドのダブルス予選を突破し初のグランドスラム本戦出場。2013年には、同じくウインブルドンでベスト4へと躍進し、ツアープロの地位を確立した。
なお、青山の身体能力の高さやストイックにトレーニングする姿は選手間では有名で、様々なエピソードも漏れ聞こえてくる。そのことを本人に伝えると、「いやいや、普通ですよ」と謙遜しつつも、こう続けた。
「小学生の頃から、いわゆる運動神経は良い部類には入っていて、なので身体を動かすのは大好きでした。トレーニングもやり始めた頃から、きついんですけど、楽しい気持ちが先に来た。それもあって継続できているのかな? 私は正直、テニスの能力は低いので、運動能力だけで戦わせていただいている感じです」
ネットに隠れるように身をかがめ、息をひそめ、草陰から獲物を捕らえるがごとくボールに飛びつく高速ポーチは、青山修子の専売特許。今大会では、内島という大砲タイプとの連携で、巧の技に一層の磨きを掛けていく。
現地取材・文●内田暁
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