新日本プロレスは毎年恒例となる年間最大のビッグマッチ『WRESTLE KINGDOM 20 in TOKYO DOME』1.4東京ドーム大会を開催した。20回目にしてシリーズ史上初の全席完売という歴史的な大会となった。その中心は、新日本社長であり現役レスラーでもある棚橋弘至の引退試合だった。
2000年代にK-1、PRIDEといった格闘技ブームの影響で低迷していた新日本プロレスをどのように立て直し、時代と向き合ってきたのか。その象徴として“100年に1人の逸材”と称される棚橋弘至がいた、ということを改めて噛み締める時間だった。
棚橋が新日本プロレスにもたらした功績は、名勝負の数だけではない。ファンへの向き合い方、カメラやメディアを意識した振る舞い、そして「魅せる」ことへの徹底した姿勢。リング内外で一貫したその意識が、プロレスの魅せ方そのものを変えてきた。
カメラマンの立場で見ると、棚橋は「動きが止まる」レスラーだった。シャッターを切った一瞬が、そのまま躍動感として残る。ハイフライフローやドラゴンスクリューといった技だけではなく、仕掛けの動き一つひとつに無駄がなく、フォームが美しい。表情も幅広い。実際にリングサイドから試合を撮影した際にも、その完成度に改めて驚かされた。撮られること、残ることを理解しているレスラーだった。
入場時や勝ち名乗りでは、できる限り4方向すべてのコーナーポストに登り、観客に目線を送る。ファンが撮った写真がSNSを通じて広がり、プロレスを知らない層の目に触れる。その先までを意識した行動だった。
リングを降りてからも同じだ。試合後も時間の許す限り、会場の隅々までファンサービスを行う。試合のない本来は休みのタイミングでも、大会の行なわれる地域へのプロモーションも積極的に参加する。「疲れていない」という言葉は、リングの上だけでなく、リング外も含めた覚悟だった。
バックステージでも、声を掛けずともカメラ1台1台に自然と目線を送る。レスラーとメディアの距離感を変え、発信することの重要性を体現してきた存在でもある。
その集大成が、2026年の1.4東京ドームだった。
2000年代にK-1、PRIDEといった格闘技ブームの影響で低迷していた新日本プロレスをどのように立て直し、時代と向き合ってきたのか。その象徴として“100年に1人の逸材”と称される棚橋弘至がいた、ということを改めて噛み締める時間だった。
棚橋が新日本プロレスにもたらした功績は、名勝負の数だけではない。ファンへの向き合い方、カメラやメディアを意識した振る舞い、そして「魅せる」ことへの徹底した姿勢。リング内外で一貫したその意識が、プロレスの魅せ方そのものを変えてきた。
カメラマンの立場で見ると、棚橋は「動きが止まる」レスラーだった。シャッターを切った一瞬が、そのまま躍動感として残る。ハイフライフローやドラゴンスクリューといった技だけではなく、仕掛けの動き一つひとつに無駄がなく、フォームが美しい。表情も幅広い。実際にリングサイドから試合を撮影した際にも、その完成度に改めて驚かされた。撮られること、残ることを理解しているレスラーだった。
入場時や勝ち名乗りでは、できる限り4方向すべてのコーナーポストに登り、観客に目線を送る。ファンが撮った写真がSNSを通じて広がり、プロレスを知らない層の目に触れる。その先までを意識した行動だった。
リングを降りてからも同じだ。試合後も時間の許す限り、会場の隅々までファンサービスを行う。試合のない本来は休みのタイミングでも、大会の行なわれる地域へのプロモーションも積極的に参加する。「疲れていない」という言葉は、リングの上だけでなく、リング外も含めた覚悟だった。
バックステージでも、声を掛けずともカメラ1台1台に自然と目線を送る。レスラーとメディアの距離感を変え、発信することの重要性を体現してきた存在でもある。
その集大成が、2026年の1.4東京ドームだった。




