3月20日の18時9分頃だった。宮城県沖を震源とした震度5強の地震が発生した。この時、新日本プロレスは宮城県のゼビオアリーナ仙台で、飯伏幸太&棚橋弘至&オカダ・カズチカvsジェイ・ホワイト&KENTA&高橋裕二郎の6人タッグマッチを行なっていた。
白熱の攻防戦の中、会場では緊急地震速報のアラームが鳴り響き、地震が起きると観客から悲鳴も上がった。3月11日の東日本大震災から10年を迎えてからわずか9日後の出来事だけに、会場中に不安が立ち込めたのは言うまでもない。
しかし、選手たちの振る舞いが客席を勇気づけた。25分ほどの中断の末に安全が取れるやいなや、棚橋がリング上で得意のエアギターを披露。さらにオカダと飯伏もリングに上がると、3人で横並びになり四方へ順番にポーズを決めて撮影タイムを設けたのだ。
試合後に棚橋は「まあ僕が……やるも地獄やらないも地獄というか、苦しい判断でした」と明かしたうえで、「本当に先をね、先手を打って言わせてもらうと、ほんとに今日、この大会の開催継続が今後、問題になってくるかもしれない」と語ったが、彼らの行動はSNSでも小さくない話題を呼び、そのほとんどが「勇気をもらった」というポジティブな意見だった。
そして、無事に大会を終えた新日本プロレスは、21日にもゼビオアリーナ仙台で大会を実施し、全試合を完遂させた。
【PHOTO】オカダカズチカ、棚橋弘至、飯伏幸太、内藤哲也…新日本プロレスの最強レスラーたちを厳選ショットで一挙紹介! 棚橋の言う通り、彼らは大会の中止をしてもおかしくはなかった。それでも試合を続行したのは、他でもないファンを想ってのことだった。20日に会場にいた50歳のベテラン戦士・小島聡は、21日に本間朋晃と挑んだジェフ・コブ&グレート-O-カーン組との一戦後に、「すごく感慨がある」と胸中を語った。
「昨日の夜、宮城県を中心とした大きな地震があり、その中で昨日の後半戦、そして今日の試合を迎えたことは、すごく感慨深いものがある。いいのか悪いのか、そういうのは俺の口からいえないけど、今、プロレスラーとしてプロレスをやること、それが今の俺にできることだと思ってるから。
世の中の人をプロレスで元気にするっていうのは、もしかしたら詭弁かもしれない。けど、それは俺が30年かけてずうっとやってきたことだから、こういう日があってもリングに立てる時間と場所があるんだったら、俺は(リングに)上がりたい。俺は阪神淡路大震災の時(1995年1月17日)も、もうプロレスラーだった。いろいろとそういう大きな地震というのを乗り越えて今日あると思ってるから。頑張ろうと思います」
2011年3月11日の東日本大震災以降、『KIZUNA ROAD』と題して北海道&東北地方を周り、絆とプロレスの力で被災地に希望を与え続けてきた新日本プロレス。彼らはこれからもファンに夢と勇気を与えるべく戦い続けていく。
構成●THE DIGEST編集部
白熱の攻防戦の中、会場では緊急地震速報のアラームが鳴り響き、地震が起きると観客から悲鳴も上がった。3月11日の東日本大震災から10年を迎えてからわずか9日後の出来事だけに、会場中に不安が立ち込めたのは言うまでもない。
しかし、選手たちの振る舞いが客席を勇気づけた。25分ほどの中断の末に安全が取れるやいなや、棚橋がリング上で得意のエアギターを披露。さらにオカダと飯伏もリングに上がると、3人で横並びになり四方へ順番にポーズを決めて撮影タイムを設けたのだ。
試合後に棚橋は「まあ僕が……やるも地獄やらないも地獄というか、苦しい判断でした」と明かしたうえで、「本当に先をね、先手を打って言わせてもらうと、ほんとに今日、この大会の開催継続が今後、問題になってくるかもしれない」と語ったが、彼らの行動はSNSでも小さくない話題を呼び、そのほとんどが「勇気をもらった」というポジティブな意見だった。
そして、無事に大会を終えた新日本プロレスは、21日にもゼビオアリーナ仙台で大会を実施し、全試合を完遂させた。
【PHOTO】オカダカズチカ、棚橋弘至、飯伏幸太、内藤哲也…新日本プロレスの最強レスラーたちを厳選ショットで一挙紹介! 棚橋の言う通り、彼らは大会の中止をしてもおかしくはなかった。それでも試合を続行したのは、他でもないファンを想ってのことだった。20日に会場にいた50歳のベテラン戦士・小島聡は、21日に本間朋晃と挑んだジェフ・コブ&グレート-O-カーン組との一戦後に、「すごく感慨がある」と胸中を語った。
「昨日の夜、宮城県を中心とした大きな地震があり、その中で昨日の後半戦、そして今日の試合を迎えたことは、すごく感慨深いものがある。いいのか悪いのか、そういうのは俺の口からいえないけど、今、プロレスラーとしてプロレスをやること、それが今の俺にできることだと思ってるから。
世の中の人をプロレスで元気にするっていうのは、もしかしたら詭弁かもしれない。けど、それは俺が30年かけてずうっとやってきたことだから、こういう日があってもリングに立てる時間と場所があるんだったら、俺は(リングに)上がりたい。俺は阪神淡路大震災の時(1995年1月17日)も、もうプロレスラーだった。いろいろとそういう大きな地震というのを乗り越えて今日あると思ってるから。頑張ろうと思います」
2011年3月11日の東日本大震災以降、『KIZUNA ROAD』と題して北海道&東北地方を周り、絆とプロレスの力で被災地に希望を与え続けてきた新日本プロレス。彼らはこれからもファンに夢と勇気を与えるべく戦い続けていく。
構成●THE DIGEST編集部