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ゴルフ

“天狗になっていた”十代から幾多の挫折も経験… 「勝因はメンタルです!」と言い切ったセキ・ユウティンがツアー初優勝を飾るまで

THE DIGEST編集部

2022.09.08

福井生まれ、中国育ちのセキ・ユウティン。日本ツアー参戦6年目で初優勝を果たした。(C) Getty Images

福井生まれ、中国育ちのセキ・ユウティン。日本ツアー参戦6年目で初優勝を果たした。(C) Getty Images

 先週開催された国内女子ツアーの『ゴルフ5レディス』でツアー初優勝を飾ったセキ・ユウティン。足掛け6年、出場99試合目にして掴んだ栄冠だった。

 98年3月5日に日本の福井県で生まれたセキは、その後5歳の時に両親の母国である中国へ渡り、7歳からゴルフを始めたという。
「1年後にはジュニアの大会で3位に入り、ゴルフがだんだんと好きになり、将来はプロになりたいと思っていました」とセキ。上を目指すことで自然と練習量も増え、結果を出すことで自信もつけた。アマチュア時代からプロのトーナメントで優勝争いに絡む一方で、ナショナルチームに入り、アマチュアでは36勝を挙げ、アジア大会では個人戦で4位に入る。16歳だった14年にプロ転向すると、16年には中国女子ツアーで賞金女王となった。

【動画】国内ツアー初優勝! セキ・ユウティンの初々しい喜びの声
 まさに順風満帆なゴルフ人生であり、セキ自身も「私って天才かも? と思うぐらい天狗になっていました」と十代の頃の自身を振り返る。そのセキが次なるターゲットに選んだのが日本の女子ツアーだった。初めて受けた日本のプロテストではわずかに1打足りずに合格できなかったものの、翌年のツアー出場権を賭けたファイナルQTでは16位に入り、17年の国内ツアーに参戦。シード権獲得を目指したが、出場した32試合中、予選を通過できたのは半分に満たない15試合に過ぎず、賞金ランキング78位に終わった。優勝争いどころか、トップテンにすら一度も入ることができなかったが、「自分のゴルフが通用しないわけじゃない。私が日本の環境に慣れていなから成績が出ないだけ」と、最後まで謙虚な気持ちにはなれなかったという。

 その後、パッティングのイップスに悩まされたこともあり、プロテスト、QTともに失敗し、18年には2試合、19年には4試合にしか出場できなかった。それでもセキはあきらめない。ようやく成績が出なかったのは自分の技術が足りなかったからだと考えるようになり、徹底して技術を磨くことに努めた。さらに、1年間を乗り切るだけの体力が不足していること、ドライバーの飛距離が足りないことをカバーするために、筋力トレーニングにも励んだ。

 その結果、19年は下部ツアーであるステップアップツアーの『日医工女子オープン』で優勝を飾ると、その権利で臨んだ女子プロテストの最終テストにも合格。さらにはファイナルQTでも9位に入り、20年のツアー出場権を手にする。新型コロナの影響で、この年は6月からの開幕となり、21年と統合されることが決定。20‐21シーズンは44試合に出場したが、賞金ランキング68位、メルセデスランキング70位に終わり、悲願のシード権獲得はならなかった。
 
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