格闘技・プロレス

WWE殿堂入り“世界の女帝”ブル中野、日本人女子プロレスラー初の快挙に明かした胸中「私のことを覚えてる方がたくさんいてくれたらいいな」

どら増田

2024.03.28

ブル中野がWWE殿堂入りを果たした。(C) WWE

 世界最大のプロレス団体WWEは、年間最大のビッグイベント『レッスルマニア40』(4月7日、8日= ペンシルベニア州フィラデルフィアのリンカーン・フィナンシャル・フィールド)開催前日の4月6日に授賞式が行なわれるWWEホール・オブ・フェーム(WWE殿堂)の今年の受賞者を発表した。
 
 今年はポール・ヘイマン、USエクスプレス(バリー・ウインダム&マイク・ロトンド)、モハメド・アリ(元プロボクシング世界ヘビー級王者)、サンダーボルト・パターソン、そして日本から昨年のグレート・ムタに続いてブル中野が選ばれた。日本人では、アントニオ猪木、藤波辰爾、グレート・ムタ、力道山(レガシー部門)、新間寿(レガシー部門)が受賞しており、ブルが6人目。女子プロレスラーとしては初の快挙となった。

「自分の中でも日本とアメリカ、メキシコ、すべてのベルトを獲って、最後はこの(WWE)殿堂入り、これがあれば完璧だなって思っていたんで、それがやっと形になりました。やっと報われたな、これでやっと終われるのかなという感じですね」と笑みを浮かべていたブルだが、本人の言葉どおり、日本では全日本女子プロレス(全女)のトップとしてWWWA世界シングル王座を長きに渡り戴冠。メキシコでは初代CMLL女子王者として認められている。

 そしてアメリカでは、若手時代にクラッシュギャルズ(ライオネス飛鳥&長与千種)との抗争で一世を風靡していたダンプ松本との極悪同盟で、WWF(現WWE)に初登場。半分モヒカン(半ハゲ)の髪型にヌンチャクパフォーマンスが受けて、現地の新聞ではクラッシュやダンプより大きく報じられている。ダンプが引退後、クラッシュも引退し、髪の毛を伸ばしてダイエースプレーで逆立てる髪型にイメージチェンジ。極悪同盟の残党と獄門党を結成したブルはヒールながらトップ選手に君臨。金網デスマッチをはじめアジャコングとの死闘は語り草となっている。

 1992年11月にアジャに敗れてWWWA世界王座を明け渡すと、団体対抗戦ブームが到来。メイン路線から一線を引いていたブルは1993年に渡米してWWFと契約。ヒールのトップレスラーとして、ルナ・バションをマネージャーに、全女時代から旧知の間柄だったメドゥーサことWWF女子王者のアランドラ・ブレイズと連日に渡って対戦。同年11月に行なわれた全女の東京ドーム大会に凱旋帰国をすると、ブレイズからWWF世界女子王座を奪取する。それまでWWF世界女子タッグ王座はJBエンジェルス(山崎五紀&立野紀代)が奪取していたが、女子のシングル王座戴冠は日本人初の快挙だった。

 王座を再びブレイズに奪われて、1994年に帰国するとLLPWの神取忍と伝説のチェーンデスマッチを行なって快勝。翌1995年には盟友の北斗晶ら全女勢とともに新日本プロレスの北朝鮮遠征に帯同。怪物パワーで初めてプロレスを観る北朝鮮の人々を驚かせた。
 
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現在は現役復帰を果たしたかつての極悪同盟の先輩たちのセコンドに付くことも