8月3日に行なわれたパリ五輪男子自転車ロードレースで、ベルギーのレムコ・エベネプールが、1週間前の7月27日に行なわれた男子ロードTT(タイムトライアル)に続いて2つ目の金メダルを獲得した。五輪でのTTとロードレースの「2冠」は史上初の快挙だ。
【画像】エベネプールが所属するプロ自転車チーム「スーダル・クイックステップ」が、EURO2024期間中に投稿して話題となった写真をチェック!
エベネプールは、ベルギーのプロサイクリングチーム「スーダル・クイックステップ」に所属する24歳。2019年に19歳という異例の若さでプロ契約を交わすと、すぐに主要なレースで実績を残し始め、22年には自転車世界選手権のロードレース部門、翌23年には個人TT部門でワールドチャンピオンに輝いた、エリート中のエリートだ。
興味深いのは、自転車競技を本格的に始めたのはプロデビューからわずか2年前の17年、17歳の時からで、それまではサッカー選手として将来を嘱望されるタレントだったことだ。
父親が自転車ロードレースのプロ選手という環境に生まれながら、5歳で地元ブリュッセルの名門アンデルレヒトの育成部門に入り、11歳になると隣国オランダのビッグクラブPSVアイントホーフェンに引き抜かれたほど。
ブリュッセルからアイントホーフェンまで往復180キロの道程を毎日父親の車で行き来する生活に疲れ、14歳でアンデルレヒトに復活したが、その当時から年代別のベルギー代表に選ばれるほどのエリートだった。
無尽蔵のスタミナと安定したテクニック、際立ったリーダーシップを長所とする左利きのMFで、15歳になるとその並外れた持久力を買われて左SBとしてプレーすることが多くなった。14年から15年にかけてベルギーU-15代表で4試合、15年から16年にはU-16代表で5試合に出場しているが、ポジションはいずれも左SBで、U-16のポルトガル戦ではキャプテンマークを腕に巻いた。
しかし、試合中に股関節を傷めて長期離脱を強いられ、復帰後もベンチで過ごすことが多くなり、16歳になるとアンデルレヒトから格下の中堅クラブ、メヘレンへの移籍を強いられる。これで心が折れてモチベーションを失ったエベネプールは、父も歩んだ道である自転車ロードレースへの転向を決意したのだった。
そこからのキャリアはとんとん拍子。転向2年目の18年にユニオーレス(U-19)カテゴリーの世界選手権でロードレースと個人TTの2冠を勝ち取り、翌19年には前述の通りプロデビュー。
プロ4年目の22年にはツール・ド・フランス、ジーロ・ディタリアと並ぶ欧州三大ステージレースのひとつブエルタ・ア・エスパーニャ(スペイン一周レース)、ワンデーレースでは最も格式の高い「5大モニュメント」のひとつリエージュ~バストーニュ~リエージュ、そして世界選手権のロード部門で優勝し、次代を担うトップライダーとしての地位を確立した。
翌23年にはリエージュ~バストーニュ~リエージュを連覇し、世界選手権で今度は個人TT部門で優勝。24年には初めて出場したツール・ド・フランスで総合3位に入り、25歳以下の総合成績最上位者に与えられるヤングライダー賞も獲得している。その勢いに乗って臨んだこのパリ五輪で、ロードレースと個人TTの2冠という史上初めての快挙を成し遂げたというわけだ。
身長171センチと小柄ながら、180センチ台後半の大柄な選手と比べてもまったく引けをとらないレベルの高い出力を長時間にわたって維持できるパワーと持久力の高さが最大の武器。TTでの強さが際立っているのもそれが理由だ。一方で小柄で体重が軽いがゆえにパワーウエイトレシオ(馬力あたりの重量)が高く、ヒルクライムでも高いスピードが維持できるため、起伏の多いロードレースでも強さを発揮する。
五輪のロードレースも、全長273キロ、6時間25分という長丁場だったが、残り36キロでメイン集団から単騎飛び出して先頭グループの追走にかかると、35秒差を一気に詰めて合流。そこからさらに加速してヴァランタン・マドゥアス(フランス)とともに先頭に立ち、メイン集団との差を1分まで広げると、残り15キロでアタックをかけてマドゥアスを振り切り、そのまま独走してエッフェル塔下のゴールに飛び込む文句なしの圧勝劇だった。
現在の自転車ロードレース界は、ステージレース(山岳ステージを含む3週間の長丁場)では、過去4年間ツール・ド・フランスのタイトルを分け合っているタデイ・ポガチャル(25歳/スロベニア)とヨナス・ヴィンゲゴー(27歳/デンマーク)、ワンデーレースではマチュー・ファン・デル・プール(29歳/オランダ)とワウト・ファン・アールト(29歳/ベルギー)が絶対的な存在。彼らよりも1世代若いエベネプールは、その双方のカテゴリーでリーダーになりえる新世代のスターとしての地位を確立したと言っていい。
6月に行なわれたサッカーのEURO2024で、ベルギー代表が初戦で伏兵スロバキアに敗れた時には、現在の所属チームであるスーダル・クイックステップが、U-15代表時代のエベネプールの写真に「ベルギーにはこの男が必要だ」というコメントを添えたポストをX(旧ツイッター)に投稿して話題になった。しかしもちろん本人は、サッカーを離れて自転車を選んだ決断を後悔していないはずだ。
文●片野道郎
【関連記事】性別騒動の女性ボクサーが、“非難を受けるいわれがまったくない”理由。棄権した伊選手は「謝りたい。彼女には何の罪もありません」【パリ五輪コラム】
【画像】エベネプールが所属するプロ自転車チーム「スーダル・クイックステップ」が、EURO2024期間中に投稿して話題となった写真をチェック!
エベネプールは、ベルギーのプロサイクリングチーム「スーダル・クイックステップ」に所属する24歳。2019年に19歳という異例の若さでプロ契約を交わすと、すぐに主要なレースで実績を残し始め、22年には自転車世界選手権のロードレース部門、翌23年には個人TT部門でワールドチャンピオンに輝いた、エリート中のエリートだ。
興味深いのは、自転車競技を本格的に始めたのはプロデビューからわずか2年前の17年、17歳の時からで、それまではサッカー選手として将来を嘱望されるタレントだったことだ。
父親が自転車ロードレースのプロ選手という環境に生まれながら、5歳で地元ブリュッセルの名門アンデルレヒトの育成部門に入り、11歳になると隣国オランダのビッグクラブPSVアイントホーフェンに引き抜かれたほど。
ブリュッセルからアイントホーフェンまで往復180キロの道程を毎日父親の車で行き来する生活に疲れ、14歳でアンデルレヒトに復活したが、その当時から年代別のベルギー代表に選ばれるほどのエリートだった。
無尽蔵のスタミナと安定したテクニック、際立ったリーダーシップを長所とする左利きのMFで、15歳になるとその並外れた持久力を買われて左SBとしてプレーすることが多くなった。14年から15年にかけてベルギーU-15代表で4試合、15年から16年にはU-16代表で5試合に出場しているが、ポジションはいずれも左SBで、U-16のポルトガル戦ではキャプテンマークを腕に巻いた。
しかし、試合中に股関節を傷めて長期離脱を強いられ、復帰後もベンチで過ごすことが多くなり、16歳になるとアンデルレヒトから格下の中堅クラブ、メヘレンへの移籍を強いられる。これで心が折れてモチベーションを失ったエベネプールは、父も歩んだ道である自転車ロードレースへの転向を決意したのだった。
そこからのキャリアはとんとん拍子。転向2年目の18年にユニオーレス(U-19)カテゴリーの世界選手権でロードレースと個人TTの2冠を勝ち取り、翌19年には前述の通りプロデビュー。
プロ4年目の22年にはツール・ド・フランス、ジーロ・ディタリアと並ぶ欧州三大ステージレースのひとつブエルタ・ア・エスパーニャ(スペイン一周レース)、ワンデーレースでは最も格式の高い「5大モニュメント」のひとつリエージュ~バストーニュ~リエージュ、そして世界選手権のロード部門で優勝し、次代を担うトップライダーとしての地位を確立した。
翌23年にはリエージュ~バストーニュ~リエージュを連覇し、世界選手権で今度は個人TT部門で優勝。24年には初めて出場したツール・ド・フランスで総合3位に入り、25歳以下の総合成績最上位者に与えられるヤングライダー賞も獲得している。その勢いに乗って臨んだこのパリ五輪で、ロードレースと個人TTの2冠という史上初めての快挙を成し遂げたというわけだ。
身長171センチと小柄ながら、180センチ台後半の大柄な選手と比べてもまったく引けをとらないレベルの高い出力を長時間にわたって維持できるパワーと持久力の高さが最大の武器。TTでの強さが際立っているのもそれが理由だ。一方で小柄で体重が軽いがゆえにパワーウエイトレシオ(馬力あたりの重量)が高く、ヒルクライムでも高いスピードが維持できるため、起伏の多いロードレースでも強さを発揮する。
五輪のロードレースも、全長273キロ、6時間25分という長丁場だったが、残り36キロでメイン集団から単騎飛び出して先頭グループの追走にかかると、35秒差を一気に詰めて合流。そこからさらに加速してヴァランタン・マドゥアス(フランス)とともに先頭に立ち、メイン集団との差を1分まで広げると、残り15キロでアタックをかけてマドゥアスを振り切り、そのまま独走してエッフェル塔下のゴールに飛び込む文句なしの圧勝劇だった。
現在の自転車ロードレース界は、ステージレース(山岳ステージを含む3週間の長丁場)では、過去4年間ツール・ド・フランスのタイトルを分け合っているタデイ・ポガチャル(25歳/スロベニア)とヨナス・ヴィンゲゴー(27歳/デンマーク)、ワンデーレースではマチュー・ファン・デル・プール(29歳/オランダ)とワウト・ファン・アールト(29歳/ベルギー)が絶対的な存在。彼らよりも1世代若いエベネプールは、その双方のカテゴリーでリーダーになりえる新世代のスターとしての地位を確立したと言っていい。
6月に行なわれたサッカーのEURO2024で、ベルギー代表が初戦で伏兵スロバキアに敗れた時には、現在の所属チームであるスーダル・クイックステップが、U-15代表時代のエベネプールの写真に「ベルギーにはこの男が必要だ」というコメントを添えたポストをX(旧ツイッター)に投稿して話題になった。しかしもちろん本人は、サッカーを離れて自転車を選んだ決断を後悔していないはずだ。
文●片野道郎
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