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格闘技・プロレス

棚橋弘至と最後の一戦を控える真壁刀義「新日本プロレスの原点、すげえもんだろって、それを知らしめてやるよ」

どら増田

2025.02.06

棚橋がデビュー時からのライバルである真壁と2.11大阪府立体育館で激突。両雄の最後のシングルマッチとなる。写真:新日本プロレスリング

棚橋がデビュー時からのライバルである真壁と2.11大阪府立体育館で激突。両雄の最後のシングルマッチとなる。写真:新日本プロレスリング

 新日本プロレスは『Road to THE NEW BEGINNING』2.4東京・後楽園ホール大会を開催した。シーズン序盤に行なわれた『棚橋弘至vsヤングライオン』によるシングル3連発はヤングライオン勢の気合いが入りまくり刺激溢れる試合の連続だった。この日はその集大成として、棚橋&村島克哉のコンビが真壁刀義&永井大貴とタッグで激突した。

【画像】新日本の歴史を作ってきたレジェンドレスラーたち
 棚橋にとって1999年10月10日に後楽園で行なわれたプロデビューの相手は“先輩”の真壁とのシングルマッチだった。この日は翌日に東京ドーム大会を控えており、ファン感謝祭的な特別興行で、柴田勝頼と井上亘(引退)のデビュー戦も組まれている。デビュー当時から棚橋の肉体は新人離れしており、最後は逆エビ固めで敗れるも、激しい洗礼を浴びせる真壁に喰らい付いていく姿が印象的だった。後に真壁が反体制に回ったこともあり、ふたりは節目節目で闘ってきた。真壁も棚橋と同じく暗黒時代を奪取すべく必死だったのだ。

 棚橋のエアギターに対して「全力で試合をしているレスラーが何であんなことを試合後にできるんだよ」と意を唱えたこともあった。真壁が本間朋晃とともにG.B.H存続を訴えると、新日本の本隊としてこれを受け入れたのも棚橋だった。以来、ふたりは『徹子の部屋』を筆頭にバラエティ番組への出演が増えて、真壁はスイーツ真壁として、お茶の間の人気者となり新日本のV字回復に貢献した。的確なテレビ解説も定評がある。

 棚橋は「同じここ後楽園ホールで、1999年10月10日、真壁伸也選手相手にデビューして、25年経ちました。今でもあの日の緊張、不安、興奮、喜び、昨日のことのように、昨日のことのようにね、思い出しますけど、それからGP戦でも、『G1』でも幾度となく真壁選手と試合して、自分が本当にもう何をやっても無駄なんじゃないか、全然新日本プロレス良くなんないじゃないかって思った時に、真壁さんが『俺たちの時代で新日本プロレスをなんとかしようぜ』ってずっと言ってくれたから、今の棚橋がいます。デビュー戦から続いた棚橋vs真壁をしっかり終えてみせますよ」と2.11大阪府立体育会館第1競技場大会で組まれた最後のシングルについて感慨深い表情で語っていた。
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