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「僕は別次元にいた」1988年のモナコで覚醒したアイルトン・セナ。94年のグリッドに“マイスター”の姿はなかった【名ドライバー列伝〈中編〉】

甘利隆

2021.05.19

1992年のセナとマンセルのバトルは、今も語り継がれる伝説だ。(C)Getty Images

1992年のセナとマンセルのバトルは、今も語り継がれる伝説だ。(C)Getty Images

 ターボ・エンジンが禁止され、自然吸気の3.5L・V10で臨んだ1989年と1990年、ホンダが満を持して投入したV12エンジンで戦った1991年は盤石の走りで3年連続のポール・トゥ・ウィン。続く1992年にはナイジェル・マンセルと今も語り継がれる伝説のバトルを展開した。

 リアクティブ・サスペンションが搭載され、手堅い設計に定評のあったパトリック・ヘッド、空力の奇才、エイドリアン・ニューウェイによってデザインされたシャシーに軽量なルノーV10を積んだウィリアムズ・FW14Bとマンセルの組み合わせが、この年のシーズン当初から他を圧倒。開幕から5連勝して乗り込んだモナコGPでもポールポジションからスタートし、大きなリードを築く。だが、レース終盤にホイールナットのトラブルでピットイン。それに乗じてトップに立ったセナは残りの数周、マシンを左右に振ってオーバーテイクを試みるマンセルを抑えきり、連勝を4へと伸ばした。

 シャンパンファイトを終えたマンセルが疲労困憊でアスファルト上に座り込むほどの激闘は、1986年のスペインGPで0.014秒差でゴールする(優勝はセナ)など、名勝負を繰り広げてきたF1界屈指のファイターふたりによる見事な演目だった。
 
 ホンダ・エンジンを失った1993年もシーズンを通して苦戦を強いられた。

 前年のマンセルに続き、1年間の休養を経て、ウィリアムズから復帰したプロストに2年連続でモナコでのポールポジションを譲り、多くのライバルたちを置き去りにする競争力を誇ったFW15Cで走るプロストがレース序盤をリードするが、そのプロストがフライングによる10秒のペナルティーを受け、さらに再スタート時にエンジンをストール。優勝争いから脱落する。それを受けて首位に立ったベネトン・フォードのミハエル・シューマッハもサスペンションに油圧系トラブルが発生したためにリタイアを喫し、2位につけていたセナがトップへと浮上。そのままモナコGP5連勝を飾った。

 セナがイモラで非業の死を遂げた2週間後に行なわれた1994年のモナコGPは、深い悲しみに包まれていた。

 1番及び2番グリッドは、セナと同じサンマリノGPの予選2日目に亡くなったローランド・ラッツェンバーガーのふたりに哀悼の意を表し、故人たちの母国であるブラジルとオーストリアの国旗がペイントされ、空席となった。

 ポールポジションの指定席には、11回目のモナコGPを迎えるはずだった“マイスター”の姿はなかった……。※後編に続く

文●甘利隆
著者プロフィール/東京造形大学デザイン科卒業。都内デザイン事務所、『サイクルサウンズ』編集部、広告代理店等を経てフリーランス。Twitter:ama_super

【動画】アイルトン・セナの“輝ける走り”トップ10をチェック!

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