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モータースポーツ

F1最強の名将F・ウィリアムズが79歳で逝去…ハミルトンは「最後までファイターであり続けた」と敬意を表し、角田裕毅も哀悼

THE DIGEST編集部

2021.11.29

 しかし、89年にルノーエンジンを手に入れて戦闘力を上げ、さらに90年代に入って名デザイナーのエイドリアン・ニューウェイを迎え入れ、アクティブサスペンション、トラクションコントロールなどのハイテクデバイスで他チームを先行すると、「誰が乗っても勝てる」と言われるほどの強力なマシンを作り上げ、92年にはナイジェル・マンセル、93年にはアラン・プロストを要してドライバー&コンストラクターのダブルタイトルを獲得。94年にはアイルトン・セナの死という悲劇に見舞われながらも、チームタイトルは死守した。

 96年にデイモン・ヒル、97年はジャック・ヴィルヌーブによって2年連続で二冠を達成して黄金時代を謳歌したが、これがフランク率いるチームにとっての最後の栄光となった。2000年に入ってBMWとの提携で強さを取り戻して2001年と03年に4勝ずつを挙げたが、以降は勝利から遠ざかり、2012年スペイン・グランプリのパストール・マルドナードがチームにとっての最後の勝者となっている。

 2012年にチームの取締役を退き、昨年に売却とともにチーム代表の座を降りた名伯楽。彼の長女で、13年からチーム副代表を務めたクレアは、偉大な父について「父はパドックの誰よりも、ずっと長くF1にいた。彼はこのスポーツに、信じられないほどのレガシーを残した。私たちは常にそれを記憶に止めるとともに、常に誇りに思う」と語った。
 
 F1に最も長く関わったといわれるレジェンドの死に際しては、多くの関係者が哀悼の意を評しており、現役ドライバーでは同胞のルイス・ハミルトン(メルセデス)が「この競技で出会うことができた最も親切な人物のひとり。彼が達成したことは本当に特別なものだ。最後までレーサーであり、ファイターであり続けた」、ウィリアムズのジョージ・ラッセルは「彼は単なる上司ではなく、メンターであり、友人でもあった。その信じられないほどのレガシーは、チームの心と魂の中で永遠に生き続ける」と、それぞれ声明を発している。

 また、フランク卿の下で世界の頂点に立ったOBの中では、D・ヒルが「彼は私の人生に大きな影響を与えた人物であり、世話になりっぱなしだった。F1に対する貢献度は計り知れないほど大きい」「彼と比較できるのは、エンツォ・フェラーリだけだ。彼はF1を愛し、レースを愛した。チームを運営する者は皆、フランクの足跡を辿りたいと思うだろう」と語った他、自身のSNSでは「決意と忍耐強さで形成された人物だった」と綴った。

 現在はFIAの会長を務め、90年代から2000年代にかけてはフェラーリの監督としてフランク卿と戦ったジャン・トッドは、「彼はパイオニアであり、並外れた性格であり、模範的な人物だった」とコメント。また、F1公式サイトも「フランク・ウィリアムズ卿の死去により、我々は最も悲惨で深い悲しみに満ちている。彼の人生は、モータースポーツへの情熱に駆り立てられ続けたものだった。その遺産は計り知れないものであり、永遠にF1の一部であり続けるだろう」と、計114勝を挙げた「車椅子の闘将」に敬意を表している。

 また、スクーデリア・アルファタウリの角田裕毅もSNS(インスタストーリー)でフランク卿の写真とともに「RIP(安らかに眠れ)」の文字を添え、冥福を祈った。

構成●THE DIGEST編集部

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