まだ1勝馬ながらクラシックへの参戦を目指すサクラスターオーは、次走3着までに皐月賞(GⅠ、中山・芝2000m)への優先出走権が与えられる弥生賞(GⅡ、中山・芝2000m)に挑戦。鞍上を東信二にスイッチして出走すると、彼はそのポテンシャルを一気に解き放つ。中団からレースを進めて徐々に位置を押し上げて直線へ向くと、逃げるビュウーコウ、2番手のマイネルダビテを僅かに差し切って優勝。一躍、競馬シーンで注目される存在となった。
サクラスターオーは脚元の具合と相談しながら本格的なトレーニングに移行し、GⅠ仕様の体に仕上げられた。そして迎えた”一冠目”の皐月賞。寒梅賞のあとにスプリングステークス(GⅡ、中山・芝1800m)で胸のすくような追い込み勝ちを見せたマティリアルがオッズ2.0倍の1番人気に推され、サクラスターオーは5.6倍の2番人気となってレースを迎えた。
レースの前半、サクラスターオーとマティリアルは後方14番手付近を進んだが、3コーナーの手前から位置を押し上げていったサクラスターオーに対して、マティリアルは手応えが優れない。そして直線へ向くと、9番手まで上がっていたサクラスターオーは破壊力抜群の末脚を繰り出して一気に前方の馬たちをのみ込み、遅れて追い込んできたゴールドシチーとマティリアルをらくらくと抑えて圧勝。三冠制覇に向けて最高のスタートを切った...はずだった。
しかし皐月賞から約1か月後、日本ダービー(GⅠ)に向けての調教中、前肢に繋靱帯炎を発症していたことが分かり、獣医の診断によると全治4か月という重症。この段階でダービーへの夢は事実上、絶たれてしまった。
この故障にショックを受けた調教師の平井だったが、気持ちを切り替え、どうにか菊花賞(GⅠ、京都・芝3000m)には出してあげたいという望みに夢を託すことにした。
まずは患部を癒すため、自ら山梨県にある下部温泉の源泉を汲み上げて美浦トレセンまで運んでは、サクラスターオーの脚を浸してマッサージを施して回復を促した。6月になると福島県いわき市の俗称『馬の温泉』(JRA競走馬総合研究所常磐支所)に滞在させ、温泉水で脚元を癒しつつ、脚に負担がかかりにくいプール調教を取り入れてトレーニングに励ませた。本質的に体力があるサクラスターオーはトレーニングにへこたれることはなかったという。
とはいえ、サクラスターオーの脚元の状態は菊花賞へ進むか、取り止めるか、という危ういバランスのうえ、薄氷を踏むような状態での調整を強いられた。11月1日には栗東トレーニング・センターへ移動して調教を進めるなか、平井はオーナーの全に出走の許可を取り付けたものの、出否の判断はレース直前まで繰り延べていた。そして獣医の診断は「レースで出せるギリギリの状態」だと許可を受けながら、脚の腫れと戦いながらいよいよ当日を迎える。
サクラスターオーは脚元の具合と相談しながら本格的なトレーニングに移行し、GⅠ仕様の体に仕上げられた。そして迎えた”一冠目”の皐月賞。寒梅賞のあとにスプリングステークス(GⅡ、中山・芝1800m)で胸のすくような追い込み勝ちを見せたマティリアルがオッズ2.0倍の1番人気に推され、サクラスターオーは5.6倍の2番人気となってレースを迎えた。
レースの前半、サクラスターオーとマティリアルは後方14番手付近を進んだが、3コーナーの手前から位置を押し上げていったサクラスターオーに対して、マティリアルは手応えが優れない。そして直線へ向くと、9番手まで上がっていたサクラスターオーは破壊力抜群の末脚を繰り出して一気に前方の馬たちをのみ込み、遅れて追い込んできたゴールドシチーとマティリアルをらくらくと抑えて圧勝。三冠制覇に向けて最高のスタートを切った...はずだった。
しかし皐月賞から約1か月後、日本ダービー(GⅠ)に向けての調教中、前肢に繋靱帯炎を発症していたことが分かり、獣医の診断によると全治4か月という重症。この段階でダービーへの夢は事実上、絶たれてしまった。
この故障にショックを受けた調教師の平井だったが、気持ちを切り替え、どうにか菊花賞(GⅠ、京都・芝3000m)には出してあげたいという望みに夢を託すことにした。
まずは患部を癒すため、自ら山梨県にある下部温泉の源泉を汲み上げて美浦トレセンまで運んでは、サクラスターオーの脚を浸してマッサージを施して回復を促した。6月になると福島県いわき市の俗称『馬の温泉』(JRA競走馬総合研究所常磐支所)に滞在させ、温泉水で脚元を癒しつつ、脚に負担がかかりにくいプール調教を取り入れてトレーニングに励ませた。本質的に体力があるサクラスターオーはトレーニングにへこたれることはなかったという。
とはいえ、サクラスターオーの脚元の状態は菊花賞へ進むか、取り止めるか、という危ういバランスのうえ、薄氷を踏むような状態での調整を強いられた。11月1日には栗東トレーニング・センターへ移動して調教を進めるなか、平井はオーナーの全に出走の許可を取り付けたものの、出否の判断はレース直前まで繰り延べていた。そして獣医の診断は「レースで出せるギリギリの状態」だと許可を受けながら、脚の腫れと戦いながらいよいよ当日を迎える。
関連記事
- 【名馬列伝】日本馬初の「単独世界一」に格付けされたジャスタウェイ。父に続き驚くべき“覚醒”を遂げた軌跡
- 【名馬列伝】「スピードの絶対値が他の馬と違う」小島太が舌を巻いた国内初の“スプリント王者”サクラバクシンオー。日本競馬屈指といえる快足馬の軌跡
- 【名馬列伝】名門牧場の名を継いだシンボリクリスエス。国内外の名手を背に主役を張った藤沢和雄厩舎を代表する漆黒の傑作
- 【名馬列伝】20年前、国内で唯一ディープインパクトに土をつけたハーツクライ。4歳秋から急成長で世界に挑戦も、突然襲った喉の“異変”
- 【名馬列伝】「天馬」と讃えられる優駿を輩出したトウショウ牧場。名門の落日前に異彩を放った“破天荒キャラ”スイープトウショウの生涯