日本ダービーを6馬身差で圧勝したメリーナイスがオッズ2.2倍の1番人気に推されるなか、故障休養明けのサクラスターオーはオッズ14.9倍の9番人気。連日、スポーツ紙で「スターオーは本調子ではない」という報道が繰り返されたため、また常識的に勝つ、または好走するのは考え難いという意識がファンの間に醸成されていたからだ。
スタートすると自然な流れのなかで中団馬群のなか、10番手付近にポジションをとったサクラスターオー。メリーナイスは掛かり気味に先行し、2番人気のゴールドシチーはスターオーの目の前、7番手を進んでいた。淀みのない流れのままレースは2周目の第3コーナーまで進み、サクラスターオーは坂の下りを生かして先団に取り付き、直線へと向かう。
逃げたレオテンザンや先行したメリーナイスが粘ろうとするところへサクラスターオーはインから前の馬の間をこじ開けるように進出し、一気に先頭へと躍り出る。そしてゴールドシチーやユーワジェームスらの追撃を抑え、見事に先頭でゴールを駆け抜けた。当時、関西テレビでレース実況を務めていた杉本清は「菊の季節に桜が満開!菊の季節に桜!」という名セリフを残した。一方、信じられないものを見たという驚嘆からか、スタンドは長い時間ざわつき続けた。
このサクラスターオーが起こした奇跡は、いくつもの記録に彩られた。「中202日」は菊花賞史上最長間隔での優勝であり、同時に日本のクラシック史上最長間隔での優勝。また、秋初戦を菊花賞のぶっつけ出走で勝利した初めての馬となった。
当初、いったん休養に入って翌年の春の天皇賞(GⅠ)を目指す予定だった。しかし有馬記念(GⅠ、中山・芝2500m)のファン投票でサクラスターオーは3歳にして1位となる。その結果を受け、ファンの要望に応えるべきだという思いを抱いていた平井は全の了承を得、予定を覆して有馬記念への出走を決める。そして、この決断が最悪の結果を招くものだったとは当時、誰も予測してはいなかった。
レースはサクラスターオーがオッズ4.0倍の1番人気となってスタートした。しかし波乱はゲートが開いた直後、メリーナイスが落馬・競走中止する波乱で幕を開ける。そして2週目の最終コーナーを迎えたあたりで、馬群からおかれて不自然な歩様で止まる1頭のサラブレッドが目に入った。サクラスターオーだった。競走を中止した彼には「左前脚繋靭帯断裂および第一指関節脱臼で予後不良」との診断が下された。
本来ならばすぐに安楽死処分が下されるほどに酷い状態だったが、種牡馬としてサクラスターオーの血をつなぎたいと願うオーナーの全、調教師の平井による希望で救命治療が行なわれることになった。
治療は4か月を超える長きに渡った。一時は患部が平熱に戻って希望の光が見える瞬間もあったが、テンポイントの悲劇からも分かるように、やはり脚の重症を救うのは容易なことではない。サクラスターオーは5月12日、起立不能となって安楽死の処置がとられた。闘病生活は137日にも及んでいた。
美浦トレーニング・センターの馬頭観音で葬式が行なわれ、亡骸は生まれ故郷の藤原牧場に輸送され、建立された墓に埋葬された。
どんな馬であれ、競走中の事故で落命するのは悲しい。そのなかでも、奇跡にも等しい勝利であまりに眩い祝福を受けた直後に起こった不慮の死だけに、サクラスターオーのことは私たちに与えた悲しみはとても苛烈であり、いつまでも脳裏から消えることはない。
文●三好達彦
【記事】クロワデュノール陣営の魂の込もったリベンジ舞台。大けがを乗り越えたダービージョッキーが電話で吐露した忘れ難い言葉【日本ダービー】
【記事】大ケガ乗り越えたダービージョッキーが入線後“30秒の沈黙” カメラマイクが拾った騎手同士の言葉に感動「泣ける」「今までで一番素敵」【日本ダービー】
スタートすると自然な流れのなかで中団馬群のなか、10番手付近にポジションをとったサクラスターオー。メリーナイスは掛かり気味に先行し、2番人気のゴールドシチーはスターオーの目の前、7番手を進んでいた。淀みのない流れのままレースは2周目の第3コーナーまで進み、サクラスターオーは坂の下りを生かして先団に取り付き、直線へと向かう。
逃げたレオテンザンや先行したメリーナイスが粘ろうとするところへサクラスターオーはインから前の馬の間をこじ開けるように進出し、一気に先頭へと躍り出る。そしてゴールドシチーやユーワジェームスらの追撃を抑え、見事に先頭でゴールを駆け抜けた。当時、関西テレビでレース実況を務めていた杉本清は「菊の季節に桜が満開!菊の季節に桜!」という名セリフを残した。一方、信じられないものを見たという驚嘆からか、スタンドは長い時間ざわつき続けた。
このサクラスターオーが起こした奇跡は、いくつもの記録に彩られた。「中202日」は菊花賞史上最長間隔での優勝であり、同時に日本のクラシック史上最長間隔での優勝。また、秋初戦を菊花賞のぶっつけ出走で勝利した初めての馬となった。
当初、いったん休養に入って翌年の春の天皇賞(GⅠ)を目指す予定だった。しかし有馬記念(GⅠ、中山・芝2500m)のファン投票でサクラスターオーは3歳にして1位となる。その結果を受け、ファンの要望に応えるべきだという思いを抱いていた平井は全の了承を得、予定を覆して有馬記念への出走を決める。そして、この決断が最悪の結果を招くものだったとは当時、誰も予測してはいなかった。
レースはサクラスターオーがオッズ4.0倍の1番人気となってスタートした。しかし波乱はゲートが開いた直後、メリーナイスが落馬・競走中止する波乱で幕を開ける。そして2週目の最終コーナーを迎えたあたりで、馬群からおかれて不自然な歩様で止まる1頭のサラブレッドが目に入った。サクラスターオーだった。競走を中止した彼には「左前脚繋靭帯断裂および第一指関節脱臼で予後不良」との診断が下された。
本来ならばすぐに安楽死処分が下されるほどに酷い状態だったが、種牡馬としてサクラスターオーの血をつなぎたいと願うオーナーの全、調教師の平井による希望で救命治療が行なわれることになった。
治療は4か月を超える長きに渡った。一時は患部が平熱に戻って希望の光が見える瞬間もあったが、テンポイントの悲劇からも分かるように、やはり脚の重症を救うのは容易なことではない。サクラスターオーは5月12日、起立不能となって安楽死の処置がとられた。闘病生活は137日にも及んでいた。
美浦トレーニング・センターの馬頭観音で葬式が行なわれ、亡骸は生まれ故郷の藤原牧場に輸送され、建立された墓に埋葬された。
どんな馬であれ、競走中の事故で落命するのは悲しい。そのなかでも、奇跡にも等しい勝利であまりに眩い祝福を受けた直後に起こった不慮の死だけに、サクラスターオーのことは私たちに与えた悲しみはとても苛烈であり、いつまでも脳裏から消えることはない。
文●三好達彦
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