ピラミッドの底辺が広ければ広いほど土台が強くなり、頂点のレベルも上がります。やはりグラスルーツの活動をどんどんやっていかなければいけませんし、それこそがワールドカップが開催された意義だと思っています。
また、トップリーグのプロ化も日本ラグビーの強化につながりますし、シックスネーションズに入ることもあれば、スーパーラグビーにもう一度戻ってくれと言われる可能性だってあります。日本代表がコンスタントに世界と試合をし、成長できる環境を作るのは協会の仕事だと思うので、そういう面でも「One Team」になって日本ラグビーを発展させていかなければいけません。
日本はベスト8まで来ました。次の世代は、ベスト4を目指すという明確な目標ができました。
今回のワールドカップによって、世間の目は間違いなく日本代表に、ラグビーに向いたと思っています。今後も日本代表の試合がコンスタントに放送されれば、ラグビーへの関心は続きますし、スポンサーも増えてくるはずです。また、選手個人が海外のチームに移籍する話も出てくるかもしれません。そうやってあらゆる面のレベルが上がってくれば、次の大会での成果も期待できます。みんなで目指しましょうよ、ベスト8の先を。
最後になりましたが、選手やスタッフを含めたチーム関係者はもちろん、何よりもラグビーを応援してくださった皆さんには感謝しかありません。ワールドカップは残り4試合。日本代表は敗れましたが大会はまだ続きます。皆さん最後までラグビーを楽しんでください!
●大西将太郎 PROFILE●
1978年11月18日生まれ。大阪府東大阪市出身。現役時代はCTBとSOをこなせる万能型のバックスで、キックの名手としても知られた。布施ラグビースクール、啓光学園高、同志社大を経て、卒業後はワールドに入社。その後、06年からヤマハ発動機、09年から近鉄、13年から豊田自動織機でプレーし、ジャパンラグビートップリーグ(リーグ戦)では通算143試合に出場。07-08年シーズンには「ベスト15」、「得点王」、「ベストキッカー賞」の三冠に輝いた。日本代表には同志社大4年時(00年)に初選出され、通算33キャップ・71得点。07年ワールドカップ・フランス大会のカナダ戦では、終了直前に同点コンバージョンを決めて引き分け(12-12)に持ち込み、日本代表のワールドカップ連敗記録を13で止める立役者となった。 16年の現役引退後は、同志社大や立命館大でバックスコーチを務める。現在は解説者として、また19年ラグビーワールドカップの認知活動および、ラグビーの普及活動のため、全国を飛び回る日々だ。
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最後になりましたが、選手やスタッフを含めたチーム関係者はもちろん、何よりもラグビーを応援してくださった皆さんには感謝しかありません。ワールドカップは残り4試合。日本代表は敗れましたが大会はまだ続きます。皆さん最後までラグビーを楽しんでください!
●大西将太郎 PROFILE●
1978年11月18日生まれ。大阪府東大阪市出身。現役時代はCTBとSOをこなせる万能型のバックスで、キックの名手としても知られた。布施ラグビースクール、啓光学園高、同志社大を経て、卒業後はワールドに入社。その後、06年からヤマハ発動機、09年から近鉄、13年から豊田自動織機でプレーし、ジャパンラグビートップリーグ(リーグ戦)では通算143試合に出場。07-08年シーズンには「ベスト15」、「得点王」、「ベストキッカー賞」の三冠に輝いた。日本代表には同志社大4年時(00年)に初選出され、通算33キャップ・71得点。07年ワールドカップ・フランス大会のカナダ戦では、終了直前に同点コンバージョンを決めて引き分け(12-12)に持ち込み、日本代表のワールドカップ連敗記録を13で止める立役者となった。 16年の現役引退後は、同志社大や立命館大でバックスコーチを務める。現在は解説者として、また19年ラグビーワールドカップの認知活動および、ラグビーの普及活動のため、全国を飛び回る日々だ。
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