専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
食と体調管理

「自分のコンプレックスや悩みも長所に変換して表現できる」ブレイキンの先駆者・石川勝之が伝えるカルチャーの本質と日々を支える食習慣

元川悦子

2024.09.02

――石川さんはそこにとどまることなく、2010年にはワーキングホリデーでオーストラリアに移住します。

「世界大会で優勝して、次は何だろう」と考えた時、「自由人になりたい」と思いました。ダンス中心の生活をしていましたけど、人に教えてお金を貰ったり、大物アーティストのコンサートツアーでバックダンサーをやったりすることが自分のやりたいことなのか違和感を覚えた。「これは自分の描いていることじゃないな」という思いが日に日に強まっていったんです。 

 じゃあ自分がまだ達成していないことは何かと考えた時、ダンスという武器を捨てて、1人の日本人として海外で暮らしていくことが可能なのか否か。そこにチャレンジしてみたいと思い至りました。それがワーホリの発端ですね。それまで世界中の大都市を回りましたけど、やっぱり日本人が一番すごいじゃんと感じることが多かった。それを実証したくて、ゼロの状態で海外に行くことを決めました。

――オーストラリアはどうでした?

 生活面は大変でした。アルバイトの仕事探しも難しいし、打ちのめされて3カ月くらいで帰ろうと思ったけど、後輩たちが書いてくれた色紙のメッセージを見て「何かを成し遂げるまで戻れない」と感じました。

 そんな時、旧知の知り合いがダンスに関わる仕事を沢山振ってくれて、「ああ、やっぱり自分からダンスを取ったら何もないな」と思ったし、「石川勝之じゃなくて、B-boyのKatsu Oneでいいじゃん」と割り切れた。そのおかげで本当の意味で人生をダンスで勝負しようと思えました。そこで考えたのが永住権の取得。調べてたらアーティストビザというのがあり、「職業を『B-boy』にして、永住権を取れたらオーストラリア政府にダンサーとして認められたことになるな」と。結構な覚悟を持って挑戦したら、9カ月後には取得できてしまった(笑)。でも、これで目標は達成できたと思いました。

――3年後の2013年に帰国して、株式会社「IAM」を設立します。

 きっかけはオ―ストラリア滞在中に旅行で行ったベトナムのストリートチルドレンでした。現地の知人と一緒に深夜、外へ食事に行ったところで物売りの少年がいて、売っていたお菓子を買ってあげようとしたら知人から「そのお金は子供をコントロールしている人間の利益になって、またストリートチルドレンが増えるだけだ」と言われて、ハッとしたんです。厳しい貧困の実態を目の当たりにし、こうした子供たちの力になりたい。そのためには自分がお金を稼がないといけないと思って、勢いだけで会社を立ち上げました。

 最初は会社の種類も、税金のことも全く分からなかった。初年度は借金を背負ってしまい、それでも法人税を払わなければいけなくてホントに苦労しました。それでも徐々にアパレルやイベントの企画やオーガナイズなどを事業化し、仲間たちの環境作りを進めていくことに注力。会社が回るようになっていきました。
 
――そんな流れの中、ブレイキンが2018年ユース五輪の正式競技となり、2024年パリ五輪の正式追加種目に採用されました。

 ユース五輪のことは2016年12月に知ったんですが、最初は僕自身、反対派でした。「本当のヒップホップを分かっていない」と考えていましたね。

 でも世界連盟、日本連盟の人と話をしたら印象が全く違って、特に日本連盟の皆さんは「この人たちとなら一緒にやっていける」と感じました。その後も賛否両論はありながらも、ゼロから1を構築していくことは素晴らしいと思って、ここまでできることを積み重ねてきました。

――エンターテイメントだったブレイキンが競技スポーツになったことを石川さんはどう捉えていますか?

 スポーツになったことによって、我々が発信したかったことが発信できるようになったのは確かです。五輪はブレイキンのライフスタイルの一部だし、1つの大会。そういう捉え方でいいと思っています。実際に8年が経過して、ブレイキンで生活できるプロも出現した。スポンサーがついたり、僕らもバトルに出るだけでお金がもらえるような環境になって、確実に前に進んだと思います。

 もう1つは競技人口が物凄く増えた。実数は分からないですけど、ストリートダンス人口は600万人と言われていますし、かじっている人はもっといます。もちろん大会に出るような人は1000人くらいですけど、普及が進んだのは事実です。昔だったら、「ブレイキンをやってる」と言っても「ふーん」と言われたのが、今は「いいね!」となる。それは素晴らしいことだと思います。

――パリ五輪には男子の半井重幸選手(Shigekix)ら4人が出場。石川さんの後継者が続々と育っています。

 そうですね。五輪はあくまで通過点で、ブレイキンを知ってもらうきっかけにすぎないと僕は捉えています。小中学校、高校大学に講演に行く機会もありますけど、そういう場所でブレイキンがごく普通に浸透しているようになっていってほしいと思います。

 ブレイキンは多様性、独創性、「オリジナリティ」をすごく大事にする。人と違うことが称賛されるのが魅力です。「この人はこういうふうに踊るんだ」と個性を見極めるとすごく面白いと思います。例えば、「ゴッホとピカソの作品を見て審査して下さい」と言われたらとても難しくてできないと思います。どちらも素晴らしい作品で、優劣を競っているのではなく互いの個性をぶつけ合うようなものだと考えて見てもらえたらいいですね。

――なるほど。ブレイキンの勝敗はつけるのは難しそうですね。

 明確に勝敗を決めることに違和感はあると思いますが、その違和感があってもいいんだと思います。やってる人たちも、勝ち負けだけじゃないところのバランスを考えながらやっているはず。そこで楽しんだやつが勝つんじゃないかなと僕は思います。
 

ホクト『きのこらぼ』では、次世代の選手へのエールや一問一答、今食べたい「きのこレシピ」など石川さんのインタビューを限定公開中!

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号