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プロ野球

今季の西武ですら勝率歴代ワースト5に入らず。規格外のペースで黒星街道をばく進した“プロ野球最弱チーム”たち<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2024.06.19

交流戦も最下位と苦境に打開策が見えない西武。だが、歴史を紐解けば下には下があるものだ。 写真:産経新聞社

交流戦も最下位と苦境に打開策が見えない西武。だが、歴史を紐解けば下には下があるものだ。 写真:産経新聞社

 6月18日時点で19勝44敗、勝率.302と振るわない西武。すでに今季の最下位は確定的なばかりか、このまま行けばプロ野球史上2度目のシーズン100敗も見えてくる。だが、ここまで負けに負けても「下には下がいる」。歴代最低勝率チームワースト5は以下の通りだ。

▼1位 大洋(現DeNA) 勝率.238(1955年/31勝99敗0分)
   近鉄 勝率.238(1958年/29勝97敗4分)
▼3位 洋松(現DeNA) 勝率.250(1954年/32勝96敗2分)
▼4位 近鉄 勝率.261(1961年/36勝103敗1分)
▼5位 ヤクルト 勝率.264(1970年/33勝92敗5分)

 約70年前の大洋は、まさに弱小球団の代名詞だった。ビッグネームといえば、かつて巨人でも活躍していた元本塁打王の青田昇くらいで、後は投打ともに人材皆無。100敗まであと1敗にまで迫ったこの年は首位の巨人に驚異の61.5ゲーム差、5位・国鉄(現ヤクルト)にすらも27ゲーム差をつけられていた。

 チーム打率は現在の西武とほぼ変わらない.209で、援護不足のあまり3年目の若手投手・権藤正利は3勝21敗と大きく低迷。この年から足掛け3年にわたり28連敗の日本記録を樹立することとなる。なお、大洋は前年もワースト3位の勝率.250を残しており、その弱小ぶりはまさに球史に残る。

 ワースト1位タイの近鉄は、現在の計算なら.230で大洋をも下回る史上最低勝率となるが、この年は引き分けを0.5勝で計算していたため、かろうじて同率にとどまった。当時のチーム名はパールスで、「いてまえ打線」はまだ影も形もない。前年に投手から打者へ転向した関根順三や、後に通算1963安打を記録する小玉明利ら野手陣にはそれなりに人材がいたものの、防御率リーグ5位の大映が2.79という投高時代にあって近鉄は4.04と、投手陣が壊滅的だった。

 あまりに弱すぎてオーナーの佐伯勇が激怒。巨人のレジェンドだった千葉茂を監督に招聘し、彼の愛称にちなんでチーム名をバファローに変えるのはこの年のオフのことである。
 
 そして3年後の61年、近鉄はついに史上初のシーズン100敗を喫することとなる。投手陣にミケンズ(60~61年にオールスター出場)、打線にブルーム(62~63年に2年連続首位打者)を擁し、さらに千葉監督が惚れ込んで先発・リリーフ問わずフル回転させた高卒ルーキーの徳久利明が15勝24敗で新人王を受賞したにもかかわらず103敗。これには常勝巨人の精神でチームを率いようとする千葉と、負け犬根性が染みついた選手たちの間に距離があったためとも言われている。結局この年限りで千葉は監督を辞任した。

 70年のヤクルトはトラブル続きだった。強打の正捕手・加藤俊夫が6月に無免許運転で事故を起こして無期限出場停止。巨人から加入した元ホームラン王の桑田武も、黒い霧事件に端を発するオートレース八百長事件に関与していたことが発覚し、9月に逮捕されてしまった。さらに”王貞治2世”と期待されていた若手打者の奥柿幸雄がシーズン中に突然失踪(のち引退)と、グラウンド外でのゴタゴタに苦しめられた。

 上記の5チームも含め、勝率3割を切ったのは2リーグ制以降で9例しかない(創立初年度となる2005年の楽天が最後)。143試合制の現在では、43勝100敗でもちょうど3割。ファンには何の救いにもならないかもしれないが、球史を紐解けば今季の西武よりひどいチームはいくらでもあるのだ。

構成●SLUGGER編集部

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