ソフトバンク入りした上沢直之へのバッシングが止まらない。
昨オフのポスティングによるMLB挑戦からたった1年で帰国。9年間在籍した古巣日本ハムのオファーを蹴り、巨額の条件を提示したソフトバンクを選んだのだから、確かに日本ハムファンからすると好印象を持てないのは確かだろう。
SNSでは、以下のような例え話で上沢を批判する声がある。
「上司の引き留めを振り切って海外研修に行ったサラリーマンが、帰国していきなり同業他社に転職した」「アメリカで夢を追うと別れた恋人が、あっさり1年で帰国して福岡の金持ちと結婚した」
だが、果たしてこれらは今回の移籍劇の例えとして適切だろうか?
カギとなるのは日本ハムの意思だ。今回、ソフトバンクは4年10億円+出来高をオファーしたのに対し、日本ハムの提示は単年で1.5億円だったと伝えられている。もしこれが本当なら、日本ハムの上沢獲得への熱意はそもそもあまり高くなかったことになる。ソフトバンクと日本ハムのオファーがほぼ同じで、それでも上沢がソフトバンクを選んだのなら「裏切者」と怒るファンが出てきても不思議はないが、これだけ金額が違えば上沢を責めるのは難しい。
上の例え話に準えるなら、「アメリカから帰国して恋人と再会したら、明らかに熱が冷めていた」といったところだろう。
しかも、日本ハムはかなりシビアな球団として知られている。選手の貢献度が年俸に見合わないと思えば、容赦なく切り捨てることも珍しくない。21年オフには西川遥輝、大田泰示、秋吉亮の主力3人を「ノンテンダー」という名目で事実上の戦力外としている。右肘に故障を抱える上沢が来オフそうならない保証はどこにもない。それならば、少なくとも4年は面倒を見てもらえる球団を選ぶのはある意味で当然だ。上沢を批判するファンの大半も、もし自分が同じ立場に置かれたらそうするのではないだろうか。 「義理や人情」や「恩義」やを強調するなら、双方向でなければそれこそ筋が通らない。仮に上沢が「義理や人情」のために好条件を捨てて日本ハムにとどまったとして、日本ハムがその熱意にほだされて戦力としては使い物にならなくなってもチームに残す、というようなことになるとは思えない。球団側が(少なくとも日本の基準では)「ドライ」な姿勢で知られているのだから、選手も同じように行動してもおかしくはないだろう。
そもそも、今回の「上沢バッシング」に最も困惑しているのは他ならぬ日本ハムではないだろうか。おそらく球団は、昨オフに上沢のポスティングを認めた時点で、短期間で日本に戻ってくる可能性があることは想定していただろう。そして、実際にそうなった時には、上沢の状態やチームの戦力状況、捻出できる補強費の額などに応じて処遇を決めるつもりだったはずだ。
今回、日本ハムが出した結論は「単年1.5億円」だった。上沢がその額を受け入れるなら復帰を歓迎するし、他の球団を選ぶのならそれもまた受け入れる。そこには「義理や人情」「恩義」の押しつけもない代わりに、妙な感情のしこりもない。好むと好まざるにかかわらず、それがプロスポーツというビジネスの現実だろう。ダルビッシュ有(パドレス)や糸井嘉男が上沢を「擁護」しているのも、そのことをよく理解しているからに違いない。
自分の応援するチームから主力選手が去る(しかも同一リーグのライバル球団に)となれば、失望するのはファンとしてはむしろ当たり前とも言える。だが、それが選手個人へのバッシングまで発展するのはさすがに行き過ぎだろう。
FA権取得前のポスティング移籍→短期間で帰国→「事実上のFA」として古巣以外の球団への移籍という、いわゆる「ロンダリング」も批判の的となっている。だが、これはあくまでポスティング・システムという制度の不備であって、上沢個人への批判は的外れだ。
一方で、球団側もポスティングを認める際に「選手の夢をサポートする」などという美辞麗句を並び立てるのはやめた方がいい。球団のあらゆる意思決定の根本となる判断基準は「それがチームにとっての最善の選択かどうか」であるべきで、時にはファンの失望や批判を買うような決断を下さざるを得ない時もある。にもかかわらず、上のような綺麗ごとをたとえ建前でも強調してしまうと、かえってファンに誤解を与える面もあるのではないか。
プロ野球がファンに夢を与えるエンターテイメントであることは言を俟たない。だが、同時に冷徹なビジネスの論理で動く世界でもある(そうでなければ、球団経営自体が成り立たない)。今回の件を機に、日本のファンと球団、そして選手の関係がもう少し「大人の成熟した関係」になってほしいと思わずにはいられない。
構成●SLUGGER編集部
昨オフのポスティングによるMLB挑戦からたった1年で帰国。9年間在籍した古巣日本ハムのオファーを蹴り、巨額の条件を提示したソフトバンクを選んだのだから、確かに日本ハムファンからすると好印象を持てないのは確かだろう。
SNSでは、以下のような例え話で上沢を批判する声がある。
「上司の引き留めを振り切って海外研修に行ったサラリーマンが、帰国していきなり同業他社に転職した」「アメリカで夢を追うと別れた恋人が、あっさり1年で帰国して福岡の金持ちと結婚した」
だが、果たしてこれらは今回の移籍劇の例えとして適切だろうか?
カギとなるのは日本ハムの意思だ。今回、ソフトバンクは4年10億円+出来高をオファーしたのに対し、日本ハムの提示は単年で1.5億円だったと伝えられている。もしこれが本当なら、日本ハムの上沢獲得への熱意はそもそもあまり高くなかったことになる。ソフトバンクと日本ハムのオファーがほぼ同じで、それでも上沢がソフトバンクを選んだのなら「裏切者」と怒るファンが出てきても不思議はないが、これだけ金額が違えば上沢を責めるのは難しい。
上の例え話に準えるなら、「アメリカから帰国して恋人と再会したら、明らかに熱が冷めていた」といったところだろう。
しかも、日本ハムはかなりシビアな球団として知られている。選手の貢献度が年俸に見合わないと思えば、容赦なく切り捨てることも珍しくない。21年オフには西川遥輝、大田泰示、秋吉亮の主力3人を「ノンテンダー」という名目で事実上の戦力外としている。右肘に故障を抱える上沢が来オフそうならない保証はどこにもない。それならば、少なくとも4年は面倒を見てもらえる球団を選ぶのはある意味で当然だ。上沢を批判するファンの大半も、もし自分が同じ立場に置かれたらそうするのではないだろうか。 「義理や人情」や「恩義」やを強調するなら、双方向でなければそれこそ筋が通らない。仮に上沢が「義理や人情」のために好条件を捨てて日本ハムにとどまったとして、日本ハムがその熱意にほだされて戦力としては使い物にならなくなってもチームに残す、というようなことになるとは思えない。球団側が(少なくとも日本の基準では)「ドライ」な姿勢で知られているのだから、選手も同じように行動してもおかしくはないだろう。
そもそも、今回の「上沢バッシング」に最も困惑しているのは他ならぬ日本ハムではないだろうか。おそらく球団は、昨オフに上沢のポスティングを認めた時点で、短期間で日本に戻ってくる可能性があることは想定していただろう。そして、実際にそうなった時には、上沢の状態やチームの戦力状況、捻出できる補強費の額などに応じて処遇を決めるつもりだったはずだ。
今回、日本ハムが出した結論は「単年1.5億円」だった。上沢がその額を受け入れるなら復帰を歓迎するし、他の球団を選ぶのならそれもまた受け入れる。そこには「義理や人情」「恩義」の押しつけもない代わりに、妙な感情のしこりもない。好むと好まざるにかかわらず、それがプロスポーツというビジネスの現実だろう。ダルビッシュ有(パドレス)や糸井嘉男が上沢を「擁護」しているのも、そのことをよく理解しているからに違いない。
自分の応援するチームから主力選手が去る(しかも同一リーグのライバル球団に)となれば、失望するのはファンとしてはむしろ当たり前とも言える。だが、それが選手個人へのバッシングまで発展するのはさすがに行き過ぎだろう。
FA権取得前のポスティング移籍→短期間で帰国→「事実上のFA」として古巣以外の球団への移籍という、いわゆる「ロンダリング」も批判の的となっている。だが、これはあくまでポスティング・システムという制度の不備であって、上沢個人への批判は的外れだ。
一方で、球団側もポスティングを認める際に「選手の夢をサポートする」などという美辞麗句を並び立てるのはやめた方がいい。球団のあらゆる意思決定の根本となる判断基準は「それがチームにとっての最善の選択かどうか」であるべきで、時にはファンの失望や批判を買うような決断を下さざるを得ない時もある。にもかかわらず、上のような綺麗ごとをたとえ建前でも強調してしまうと、かえってファンに誤解を与える面もあるのではないか。
プロ野球がファンに夢を与えるエンターテイメントであることは言を俟たない。だが、同時に冷徹なビジネスの論理で動く世界でもある(そうでなければ、球団経営自体が成り立たない)。今回の件を機に、日本のファンと球団、そして選手の関係がもう少し「大人の成熟した関係」になってほしいと思わずにはいられない。
構成●SLUGGER編集部