9月17日(日本時間18日)、元NBA選手のユドニス・ハズレムとマイク・ミラーがホスト役を務めるポッドキャスト番組『The OGs』の最新エピソードが公開され、ゲストにシャックことシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)が出演した。
1992年のドラフト全体1位でオーランド・マジックから指名されてNBA入りした男は、新人王を皮切りにレイカーズで3連覇を達成して3年連続ファイナルMVPに輝いたほか、オールスターに15度、オールNBAチームに14度も選ばれてきた。
そんなシャックにとって、ハズレムはマイアミ・ヒート時代の同僚で、2006年の球団初優勝時には先発でフロントコートコンビを組んでいた。216㎝・147㎏の巨漢は、驚異的なパワーだけでなく全盛時にはクイックネスも兼備し、ペイントエリアを文字通り支配してきた。
もっとも、シャックは幼少期からずっとバスケットボールに励んできたわけではなく、フットボールに夢中になった時期もあったようだが、父の影響でバスケットにフォーカスするようになったという。
「ある日、親父が家にやって来て、新聞で後頭部を叩いてきたんだ。で、『これを見ろ』とね。そこにはジョン・コンカックが3年1500万ドルの契約を結んだと書かれていた。『フットボールじゃバスケットボールのように稼げない』と言ってきて、NBAのチケットを2枚持っていたから一緒に試合を観に行ったんだ。そこでコンカックを観て『俺ならできる』と思ったのさ。
それがバスケットボールへフォーカスしたきっかけなんだ。当時の俺は6フィート8インチ(203㎝)で、マジック・ジョンソンみたいな選手になりたかった。そこで俺はガードのスキルを磨いていった。バスケットが俺の生活の中心になっていったんだ。カネが欲しかったし、偉大な選手になりたかったからね」
シャックが名前に挙げたコンカックはドラフトで“失敗作”と批評されている選手。ニューヨーク・ニックスがパトリック・ユーイングを1位指名した1985年のドラフトにおいて、アトランタ・ホークスから5位指名を受けた。
この年は7位でゴールデンステイト・ウォリアーズがクリス・マリン(キャリア平均18.2点、4.1リバウンド、3.5アシスト)、8位でダラス・マーベリックスがデトレフ・シュレンプ(同13.9点、6.2リバウンド、3.4アシスト)、9位でクリーブランド・キャバリアーズがチャールズ・オークレー(同9.7点、9.5リバウンド、2.5アシスト)、13位でユタ・ジャズがカール・マローン(同25.0点、10.1リバウンド、3.6アシスト)、18位でデトロイト・ピストンズがジョー・デュマース(同16.1点、2.2リバウンド、4.5アシスト)、23位でレイカーズがAC・グリーン(同9.6点、7.4リバウンド、1.1アシスト)を指名と、有力な選手たちが控えていた。
そんななか、213㎝・113㎏のコンカックはNBAで11シーズンをプレーしたが、784試合で平均4.5点、4.9リバウンド、1.0アシスト、1.0ブロック止まり。自己ベストはルーキーイヤーの平均8.3点で、指名順位を考えると完全に期待外れだった。
ちなみに、コンカックは現役ラストイヤーとなった1995-96シーズンにマジックに在籍。当時キャリア4年目で、すでにリーグ屈指のセンターとしての地位を確立していたシャックと同じチームでプレーした。
文●秋山裕之(フリーライター)
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そんなシャックにとって、ハズレムはマイアミ・ヒート時代の同僚で、2006年の球団初優勝時には先発でフロントコートコンビを組んでいた。216㎝・147㎏の巨漢は、驚異的なパワーだけでなく全盛時にはクイックネスも兼備し、ペイントエリアを文字通り支配してきた。
もっとも、シャックは幼少期からずっとバスケットボールに励んできたわけではなく、フットボールに夢中になった時期もあったようだが、父の影響でバスケットにフォーカスするようになったという。
「ある日、親父が家にやって来て、新聞で後頭部を叩いてきたんだ。で、『これを見ろ』とね。そこにはジョン・コンカックが3年1500万ドルの契約を結んだと書かれていた。『フットボールじゃバスケットボールのように稼げない』と言ってきて、NBAのチケットを2枚持っていたから一緒に試合を観に行ったんだ。そこでコンカックを観て『俺ならできる』と思ったのさ。
それがバスケットボールへフォーカスしたきっかけなんだ。当時の俺は6フィート8インチ(203㎝)で、マジック・ジョンソンみたいな選手になりたかった。そこで俺はガードのスキルを磨いていった。バスケットが俺の生活の中心になっていったんだ。カネが欲しかったし、偉大な選手になりたかったからね」
シャックが名前に挙げたコンカックはドラフトで“失敗作”と批評されている選手。ニューヨーク・ニックスがパトリック・ユーイングを1位指名した1985年のドラフトにおいて、アトランタ・ホークスから5位指名を受けた。
この年は7位でゴールデンステイト・ウォリアーズがクリス・マリン(キャリア平均18.2点、4.1リバウンド、3.5アシスト)、8位でダラス・マーベリックスがデトレフ・シュレンプ(同13.9点、6.2リバウンド、3.4アシスト)、9位でクリーブランド・キャバリアーズがチャールズ・オークレー(同9.7点、9.5リバウンド、2.5アシスト)、13位でユタ・ジャズがカール・マローン(同25.0点、10.1リバウンド、3.6アシスト)、18位でデトロイト・ピストンズがジョー・デュマース(同16.1点、2.2リバウンド、4.5アシスト)、23位でレイカーズがAC・グリーン(同9.6点、7.4リバウンド、1.1アシスト)を指名と、有力な選手たちが控えていた。
そんななか、213㎝・113㎏のコンカックはNBAで11シーズンをプレーしたが、784試合で平均4.5点、4.9リバウンド、1.0アシスト、1.0ブロック止まり。自己ベストはルーキーイヤーの平均8.3点で、指名順位を考えると完全に期待外れだった。
ちなみに、コンカックは現役ラストイヤーとなった1995-96シーズンにマジックに在籍。当時キャリア4年目で、すでにリーグ屈指のセンターとしての地位を確立していたシャックと同じチームでプレーした。
文●秋山裕之(フリーライター)
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